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SunSugarSonBlog
下山
Oshino dead が終わって下山、
昨日は使い物にならないほど眠った。
なんだか限界値の底上げをするような現場だったけれども、
そのぶん多くのものを得られたような気がする。
それぞれ自分の好きな事を何十年と積み重ねてきた職人達が、
お祭りという特別な場で自由に遊んでいるような、そんな感じ。
自分の倍以上も歳を重ねているのに、
絶えずカメラを手放さず、
全てのバンドを最前線で撮影して、
全くといっていいほど休憩を取らず、
朝の9時から深夜2時まで撮影し続けて、
それでも楽しそうな情児さんの背中を見ていたら、
こりゃあ無敵だなあと思った。
そのうえ笑顔でずんずん人の懐に入って
おいしい画を撮りまくるのだ。
自分は今回久しぶりに、
生来の引っ込み思案な性質を意識する現場となった。
切り込んで行けばおいしい映像が撮れると
わかっていながら、
なぜか二の足を踏んでしまうのだ。
もどかしかった。
そんなハードルは、
とっくに乗り越えたと思っていたのに。
祭りも終わり間近になって、
ようやく少しだけ開けたかな、という感じ。
60前後のdeadheadsを前に気後れしたのだろうか。
同じ人間なのにね。
相手があんまり堂々としていると、
こっちが小さく弱くなったような
気がするんだなあ、たぶん。
それでは立ち会いに負けるって、
空手で教わったんだけども。
技術的にはレベルアップできたと思うけど、
精神的にはいくつかの課題を突きつけられた形となった。
次のひかり祭りでは、
もっとやれるだろうか。
今日あった少しいいこと。
相模湖に散歩しにいったら、
旅館のおじさんに呼び止められて、
「いつも竹とか拾っていってるでしょ?
あれに何に使うの?芸術的な事?」
「はあ、まあ、そうです、芸術的なw」
「これ持って行かないかい?
こないだ拾って、何か作ろうかと思ったんだけど、
俺センスねえからさあ」
といって、すばらしくねじ曲がった流木(根の部分だろうか)
を取り出してきたのだ。
こんな風に流木を取っておいてくれたおじさんは
実は他にもいたのだが、
一度も話した事のないそのおじさんが
自分が通りかかるのを待っていてくれた事が、
なんだかとても嬉しかった。
と同時に、
いつも流木を拾いに行ってる姿を
見られていたんだなーと、
「狭い町内」って言葉を実感した。
流木でちろちろと、
小物や家具を作ったりしてみています、最近。
触れられる物を作るのも、
映像や音楽とはまた違った
面白みがありますな。
昨日は使い物にならないほど眠った。
なんだか限界値の底上げをするような現場だったけれども、
そのぶん多くのものを得られたような気がする。
それぞれ自分の好きな事を何十年と積み重ねてきた職人達が、
お祭りという特別な場で自由に遊んでいるような、そんな感じ。
自分の倍以上も歳を重ねているのに、
絶えずカメラを手放さず、
全てのバンドを最前線で撮影して、
全くといっていいほど休憩を取らず、
朝の9時から深夜2時まで撮影し続けて、
それでも楽しそうな情児さんの背中を見ていたら、
こりゃあ無敵だなあと思った。
そのうえ笑顔でずんずん人の懐に入って
おいしい画を撮りまくるのだ。
自分は今回久しぶりに、
生来の引っ込み思案な性質を意識する現場となった。
切り込んで行けばおいしい映像が撮れると
わかっていながら、
なぜか二の足を踏んでしまうのだ。
もどかしかった。
そんなハードルは、
とっくに乗り越えたと思っていたのに。
祭りも終わり間近になって、
ようやく少しだけ開けたかな、という感じ。
60前後のdeadheadsを前に気後れしたのだろうか。
同じ人間なのにね。
相手があんまり堂々としていると、
こっちが小さく弱くなったような
気がするんだなあ、たぶん。
それでは立ち会いに負けるって、
空手で教わったんだけども。
技術的にはレベルアップできたと思うけど、
精神的にはいくつかの課題を突きつけられた形となった。
次のひかり祭りでは、
もっとやれるだろうか。
今日あった少しいいこと。
相模湖に散歩しにいったら、
旅館のおじさんに呼び止められて、
「いつも竹とか拾っていってるでしょ?
あれに何に使うの?芸術的な事?」
「はあ、まあ、そうです、芸術的なw」
「これ持って行かないかい?
こないだ拾って、何か作ろうかと思ったんだけど、
俺センスねえからさあ」
といって、すばらしくねじ曲がった流木(根の部分だろうか)
を取り出してきたのだ。
こんな風に流木を取っておいてくれたおじさんは
実は他にもいたのだが、
一度も話した事のないそのおじさんが
自分が通りかかるのを待っていてくれた事が、
なんだかとても嬉しかった。
と同時に、
いつも流木を拾いに行ってる姿を
見られていたんだなーと、
「狭い町内」って言葉を実感した。
流木でちろちろと、
小物や家具を作ったりしてみています、最近。
触れられる物を作るのも、
映像や音楽とはまた違った
面白みがありますな。
Japan-The Strange Country
http://vimeo.com/9873910
先日、東京に遠征した時に
友人に見せてもらったビデオ。
グラフィックの秀逸さが際立っている。
日本人の中にはこれを見て
不愉快に思う人もいると思うし、
実際そうした人たちの書き込みによって
この掲示板は賛否両論吹き荒れている
わけなんですけども。
たしかに、恣意的なデータの見せ方は
多々あると思うし、
個々人ではどうにもならないほどに
システムが巨大化している中で、
「自分たちにどうしろと!?」
っていう風に憤る人たちがいるのも理解できる。
食料の問題とか特に。
自分の場合で言えば、
外食産業で廃棄される食料の多さに
うんざりした経験から、
外食する事自体に抵抗感を感じたりしていて、
かといってスーパーで買い物して自炊したとしても、
あそこで廃棄されている食品の量だって
すさまじいわけで、
じゃあどうしたらいいんだと。
最近畑の野菜が取れはじめたのが救いではあるけれども、
都会に住んでたらどうしようもないもんね。
家庭で残飯を出さないようにしても、
流通の段階で恐ろしい量が廃棄されているという事実。
ただ、
この作者がこれを大学の卒業制作で作った
という事はまずとてつもない
偉業だと思う。
そして彼が自分の祖国を
このようにネガティブに、
皮肉まじりに捉えているという事実、
その原因をまずは直視しなくてはいけないと思う。
自分だってこの国の好きな部分はあるけれど、
正直うんざりする事も多いよ。
もちろん、
世界の不幸の原因全てが日本にあるわけではない。
ただその一方で、
大量消費社会に慣れすぎてしまった日本人が、
そのシステムの歪みに対し無自覚で居続ける事に、
罪がないと胸を張って言い切れるだろうか。
中国の原生林を皆伐して作る割り箸の問題について、
それは中国人の問題で日本人の責任ではない、
っていうような理屈を立てている人がいたけれど、
経済がグローバル化して、目に見えない所から
モノが運ばれてくるような時代であるからこそ、
消費者の側が想像力を働かせて、
消費行動に自覚的になるべきなんだと思う。
とは言っても、
貧乏人が倫理的な理由から
フェアトレード商品を選ぶっていうのも
かなり限界があるんだけどね。。。(これは自分の話だが)
少なくとも、
罪悪感をかき消すための
思考停止は絶対にしたくないなと思う。
これはちょっと蛇足だが、
東京で電車に乗ったら、
「寿司職人を家によんで
寿司をにぎってもらったら
予算はいくらくらい?」
ってなCMが流れていて、
答えが2、30万だった気がするんだけど、
そのあとに「その夢に向けて準備しよう」
みたいなテロップが流れて、
宝くじのCMだとわかった瞬間、
これってなんかやばくないかな、
と思った。
例えばローマ帝国の貴族たちが
世界中の美食を集めて食べては、
鳥の羽でのどの奥をつついて、
食べたばかりのものを吐き出し、
また新たな美食に舌鼓を打っていた、というような、
ぱっと見こいつら馬鹿なんじゃないか、
と思えるほどの乱痴気騒ぎ、
あれに近い匂いを嗅いだ気がした。
デカダンだとか文化の爛熟だとか、
なにかしら負のイメージをまとうきらびやかさ、
帝国の滅亡の前夜の雰囲気。
っていうと大げさだけれども、
少なくとも自分達が子供の頃に教わった
道徳の倫理観からは遥かにかけ離れた所で、
不健康な消費が加速していって、
気がついたら自分たちも飲み込まれている、というような。
なんだか、なんだかな。
アメリカの方が飯捨ててるよとか、
東欧の方が自殺率高いよとか、
そういう批判をしてしまう心理って、
あっちのほうが酷いからここはまだマシって、
そうやって目を背けていたら
何も解決しないよなあ。
さて、
自分に何ができるだろうか。
とりあえず今日は仕事をこなして、
ゴーヤのグリーンカーテン作ったぞっと。
モノの物語
色々書いてみたのだけど、
やっぱり載せない事にした。
特定の誰かを責めるつもりはないのだけれど、
それでも不快な思いをする人がいそうだから。
最小限の体験を引き合いに出しながら
語ってみる。
まずはこの映像を見てください。
「モノの物語(the story of stuff)part1」
この映像自体は先日、地元で地域通貨の流通促進を
目指して活動している(ちょっとニュアンスが伝わり
づらいかもしれないけど、これはまた後述します)
「トランジション藤野」で紹介してもらったもので、
自分としては長年の謎が少しばかり解けたなあという感じでした。
もちろんあらゆる情報や価値観は、
自分の頭で検討してから飲み込むべきもので、
この中で言ってる事を鵜呑みに
すべきではないのだけれど、
一つ5ドルのラジオを買おうと思って
ふと気づいたっていうくだり、
あれが目からウロコでした。
自分はこの商品の対価を払っていない。
じゃあ誰が払ったの?
途上国の人々が、天然資源や、きれいな空気で、
あるいは非保険雇用での労働etc...で、
対価を払った。
なるほど!と。
百円均一に大量に並ぶ
MADE IN CHINAの商品を見る時に、
脳裏にふとよぎる罪悪感、
(そういう時は大抵、
戦時中の富岡製紙工場のように過酷な
環境で働かされる中国の女工たちの
ドキュメンタリー映画
「女工哀歌」の予告編が思い出される。
本編はまだ見ていないのだ。)
その罪悪感だけはもやもやとしているのだが、
システムがいまいち理解できずにいた所のもの、
つまり国際的に経済強者であるという事は
いかなる事であるのか、という問いについての、
一つの回答が提示された気がしたから。
中国で環境破壊が加速している事に対して、
そうした短期的な視野に立っての
なりふりかまわぬ発展という時代を
すでに通り過ぎた国の民としての、
変な優越感でもって、
あの国はまだ環境意識が低いから、
なんていう思考が自分の中にもあった事を
とても恥ずかしい事だと思った。
そうやって環境を破壊しながら
生産しているものを、
安いからというそれだけの理由で
購入してしまう自分は明らかに
その環境破壊に加担しているわけで。
そうやって作られた物に
囲まれて暮らしているのが
今の自分たちの生活なんだなと。
原材料などのレベルまで遡ってみれば、
世界中の環境破壊に依存しているんだな、と。
日本では一人当たり、
平均して一年に10kgの服を買い、
9kgを捨てている計算になるらしい。
その多くは、市場に流通する事無く、
ブランドとしての価値を維持するために
焼却処分されている高級ブランドの服だろうと
思うのだけれども、
それにしたって
様々な理由で自分が捨てる服を、
うっかり途上国の人たちに見られて、
胸を張っていられる人って
中々いないんじゃないだろうかと思う。
それもまた、システムのからくりの中で
転がされているのかな、とも思うけれど。
『不都合な真実』がはやっていた頃、
アル・ゴアが日本のTVに出演して、
省エネ対策の施された最新家電を買うことは
地球温暖化対策に繋がるって言いながら、
変な笑顔を浮かべているのをみて、
ああ、この人も結局、
企業の利益を代弁する政治家なんだな、と
少し失望したんだけれど、
その失望は的外れな物ではなかったんだなと
この映像を見て再認識した。
今は「エコ」という新たな流行を、
いかにして消費に結び付けていくかという所で、
いろんな企業が悪戦苦闘しているのだろうな、
と思う。
自分たちの生活スタイルを見直して、
身の丈に合った暮らし方、という物を
実践していかない限り、
こんな馬鹿騒ぎは続きはしないと思う。
ってやっぱりぐだぐだと
クダをまいてしまった。
こういう事を話していると
きっと身近な友達から反発をくらったりして、
そんな事で口論したりするのも嫌だから
そうした思いを全部託して
映画にしちまおうと思っていたのだけど、
なんだかストーリーが転がらなくなっちまったから
こんな形で噴出したのかなあ。
ばらばらのアイデアはたんまりあるのだけど、
それらを結んでいくストーリーが
中々上手に語れない。
うーん便秘だ。
それでも、また転がしたい気持ちが
高まってきているから、
そろそろ動けるんじゃないかとは思っているんだが。
やっぱり載せない事にした。
特定の誰かを責めるつもりはないのだけれど、
それでも不快な思いをする人がいそうだから。
最小限の体験を引き合いに出しながら
語ってみる。
まずはこの映像を見てください。
「モノの物語(the story of stuff)part1」
この映像自体は先日、地元で地域通貨の流通促進を
目指して活動している(ちょっとニュアンスが伝わり
づらいかもしれないけど、これはまた後述します)
「トランジション藤野」で紹介してもらったもので、
自分としては長年の謎が少しばかり解けたなあという感じでした。
もちろんあらゆる情報や価値観は、
自分の頭で検討してから飲み込むべきもので、
この中で言ってる事を鵜呑みに
すべきではないのだけれど、
一つ5ドルのラジオを買おうと思って
ふと気づいたっていうくだり、
あれが目からウロコでした。
自分はこの商品の対価を払っていない。
じゃあ誰が払ったの?
途上国の人々が、天然資源や、きれいな空気で、
あるいは非保険雇用での労働etc...で、
対価を払った。
なるほど!と。
百円均一に大量に並ぶ
MADE IN CHINAの商品を見る時に、
脳裏にふとよぎる罪悪感、
(そういう時は大抵、
戦時中の富岡製紙工場のように過酷な
環境で働かされる中国の女工たちの
ドキュメンタリー映画
「女工哀歌」の予告編が思い出される。
本編はまだ見ていないのだ。)
その罪悪感だけはもやもやとしているのだが、
システムがいまいち理解できずにいた所のもの、
つまり国際的に経済強者であるという事は
いかなる事であるのか、という問いについての、
一つの回答が提示された気がしたから。
中国で環境破壊が加速している事に対して、
そうした短期的な視野に立っての
なりふりかまわぬ発展という時代を
すでに通り過ぎた国の民としての、
変な優越感でもって、
あの国はまだ環境意識が低いから、
なんていう思考が自分の中にもあった事を
とても恥ずかしい事だと思った。
そうやって環境を破壊しながら
生産しているものを、
安いからというそれだけの理由で
購入してしまう自分は明らかに
その環境破壊に加担しているわけで。
そうやって作られた物に
囲まれて暮らしているのが
今の自分たちの生活なんだなと。
原材料などのレベルまで遡ってみれば、
世界中の環境破壊に依存しているんだな、と。
日本では一人当たり、
平均して一年に10kgの服を買い、
9kgを捨てている計算になるらしい。
その多くは、市場に流通する事無く、
ブランドとしての価値を維持するために
焼却処分されている高級ブランドの服だろうと
思うのだけれども、
それにしたって
様々な理由で自分が捨てる服を、
うっかり途上国の人たちに見られて、
胸を張っていられる人って
中々いないんじゃないだろうかと思う。
それもまた、システムのからくりの中で
転がされているのかな、とも思うけれど。
『不都合な真実』がはやっていた頃、
アル・ゴアが日本のTVに出演して、
省エネ対策の施された最新家電を買うことは
地球温暖化対策に繋がるって言いながら、
変な笑顔を浮かべているのをみて、
ああ、この人も結局、
企業の利益を代弁する政治家なんだな、と
少し失望したんだけれど、
その失望は的外れな物ではなかったんだなと
この映像を見て再認識した。
今は「エコ」という新たな流行を、
いかにして消費に結び付けていくかという所で、
いろんな企業が悪戦苦闘しているのだろうな、
と思う。
自分たちの生活スタイルを見直して、
身の丈に合った暮らし方、という物を
実践していかない限り、
こんな馬鹿騒ぎは続きはしないと思う。
ってやっぱりぐだぐだと
クダをまいてしまった。
こういう事を話していると
きっと身近な友達から反発をくらったりして、
そんな事で口論したりするのも嫌だから
そうした思いを全部託して
映画にしちまおうと思っていたのだけど、
なんだかストーリーが転がらなくなっちまったから
こんな形で噴出したのかなあ。
ばらばらのアイデアはたんまりあるのだけど、
それらを結んでいくストーリーが
中々上手に語れない。
うーん便秘だ。
それでも、また転がしたい気持ちが
高まってきているから、
そろそろ動けるんじゃないかとは思っているんだが。
奥から三番目の遺伝子
少し間が空いてしまった。
まあ、焦っても文章はカラカラになるばかりで、
こんなもんでもいいのかもしれない。
今日は左下の親知らずを抜いて来た。
5、6年前に右下の親知らずを抜いた時は、
丸一日くらい痛みが酷くって、
今回も手術に一時間ほどはかかるだろうなんて
言われていたから、
これはしばらくまともに食えないだろうな、と
食べ納めのつもりで肉を食ったりしてたのだが、
あんがい手術はさらりと終わって、
術後も薬を飲んでいるとはいえ
ほとんど痛みを感じていない。
これは医師の腕が良かったのか、
自分の体調が良くなっているからなのか。
でも前に抜いた時は、
明らかに研修終えたての新米先生だったし、
今回の先生はこっちを笑わせながら手術する
余裕っぷりだったから、やっぱりそのへんの
技術の差はあるのだろうなあ。
という事で、やたらでかい歯医者に行くと
研修終えたての新米先生にあたる事があるので注意、
という教訓を、再認識した次第でした。
で、自分の歯には少し不思議があって、
奥歯から数えて三本目(親知らずを入れれば四本目)
の歯が、素直でないのである。
右下の歯はべっこり内側に倒れ噛み合わせに全く貢献しないし、
左上なんか完全に歯列の内側に生えていて、
これも噛み合わせに貢献しないばかりか
不潔域を作るというので二十歳の頃に抜いた。
右上はわりと素直な生え方ではあるが、
周りの歯の半分から1/4位の大きさしかない。
唯一左下だけはまともに生えている。
その他の歯はこれといってスネたりグレたりする事なく、
わりときれいに生えているので、
やはりこの奥から三番目という所に、
遺伝の匂いを強く感じるわけである。
思えば母親も、似たような歯並びだったような気がする。
(これはかなり不確かな記憶だけれども)
という事は、母方の先祖を代々さかのぼっていくと、
奥から三番目の歯がスネたりグレたりしてた人たちが
ずーっとある時期まで連なっているのではないかと、
そんな事を考えたのだ。
という事は、
母方から自分に受け継がれたDNAの塩基配列のどこかに、
「奥から三番目はイマイチ」みたいな書き込みがあって、
(歯列と塩基配列がごっちゃになってる気もするが)
それが出る人出ない人はあるだろうけれど、
脈々と受け継がれて来た個性みたいなものなのかな、と。
まあ調べようもないのだけど、
例えば母方の先祖を5代前にさかのぼって、
そしたらペリー来航とかそんな時代なんだけども、
そのご先祖の口の中の、
奥から三番目の歯が倒れてたりしたら、
そりゃもうぐっと親近感を感じるだろうなあと、
そう思った。
もちろん顔の作りやなんかに、自分や母の面影を
認めたら、そっちの方が親近感はわくのかもしれないが。
これは少し話がそれるかもしれないが、
今、自分が畑で育てている植物のほとんどは、
f1と呼ばれる種から育ったもので、
これは例えば収量の多い種と病気に強い種を
掛け合わせてできた第一世代の種という意味で、
親のいいとこどりになってるそうです。
で、このf1さんから自家採取した種がf2になるんだけども、
これを育ててもf1と同じようにいい事づくめには
ならないそうで、
理科の時間にやった「メンデルの法則」ってやつで、
25%は劣性の形質を持った子供ができるらしい。
病気に弱かったり収量が少なかったり。
というわけで今、ほとんどの農家は
f1の種を毎年購入して使っているらしいんだけども、
市場競争ってやつの負の一面だなあこれは。
ほんとはもっと持続性の高い産業なのにね、農業。
農機具に関してもそうで、
そういった部分に投資しないと、
売れる野菜が作れないと。
で、農薬撒かざるを得ないと。
でも自分らの食べるぶんには撒かないと。
あっ、愚痴っぽくなってきた。
制度を批判する事に対しては、
非常に複雑な思いがある。
The BeatlesがRevolutionで歌ってたように、
「それより君の頭を変えたらどうだい」
「心を自由にしてやったほうがいいんじゃないかい」
っていう立場にすごく賛成なんだけれども、
といって何もかもを見過ごすのもまた気持ち悪いなあと。
うん、続きを書いていたら
やたらと長くなりそうになったので、
また明日書きます。
頭冷やそう。
まあ、焦っても文章はカラカラになるばかりで、
こんなもんでもいいのかもしれない。
今日は左下の親知らずを抜いて来た。
5、6年前に右下の親知らずを抜いた時は、
丸一日くらい痛みが酷くって、
今回も手術に一時間ほどはかかるだろうなんて
言われていたから、
これはしばらくまともに食えないだろうな、と
食べ納めのつもりで肉を食ったりしてたのだが、
あんがい手術はさらりと終わって、
術後も薬を飲んでいるとはいえ
ほとんど痛みを感じていない。
これは医師の腕が良かったのか、
自分の体調が良くなっているからなのか。
でも前に抜いた時は、
明らかに研修終えたての新米先生だったし、
今回の先生はこっちを笑わせながら手術する
余裕っぷりだったから、やっぱりそのへんの
技術の差はあるのだろうなあ。
という事で、やたらでかい歯医者に行くと
研修終えたての新米先生にあたる事があるので注意、
という教訓を、再認識した次第でした。
で、自分の歯には少し不思議があって、
奥歯から数えて三本目(親知らずを入れれば四本目)
の歯が、素直でないのである。
右下の歯はべっこり内側に倒れ噛み合わせに全く貢献しないし、
左上なんか完全に歯列の内側に生えていて、
これも噛み合わせに貢献しないばかりか
不潔域を作るというので二十歳の頃に抜いた。
右上はわりと素直な生え方ではあるが、
周りの歯の半分から1/4位の大きさしかない。
唯一左下だけはまともに生えている。
その他の歯はこれといってスネたりグレたりする事なく、
わりときれいに生えているので、
やはりこの奥から三番目という所に、
遺伝の匂いを強く感じるわけである。
思えば母親も、似たような歯並びだったような気がする。
(これはかなり不確かな記憶だけれども)
という事は、母方の先祖を代々さかのぼっていくと、
奥から三番目の歯がスネたりグレたりしてた人たちが
ずーっとある時期まで連なっているのではないかと、
そんな事を考えたのだ。
という事は、
母方から自分に受け継がれたDNAの塩基配列のどこかに、
「奥から三番目はイマイチ」みたいな書き込みがあって、
(歯列と塩基配列がごっちゃになってる気もするが)
それが出る人出ない人はあるだろうけれど、
脈々と受け継がれて来た個性みたいなものなのかな、と。
まあ調べようもないのだけど、
例えば母方の先祖を5代前にさかのぼって、
そしたらペリー来航とかそんな時代なんだけども、
そのご先祖の口の中の、
奥から三番目の歯が倒れてたりしたら、
そりゃもうぐっと親近感を感じるだろうなあと、
そう思った。
もちろん顔の作りやなんかに、自分や母の面影を
認めたら、そっちの方が親近感はわくのかもしれないが。
これは少し話がそれるかもしれないが、
今、自分が畑で育てている植物のほとんどは、
f1と呼ばれる種から育ったもので、
これは例えば収量の多い種と病気に強い種を
掛け合わせてできた第一世代の種という意味で、
親のいいとこどりになってるそうです。
で、このf1さんから自家採取した種がf2になるんだけども、
これを育ててもf1と同じようにいい事づくめには
ならないそうで、
理科の時間にやった「メンデルの法則」ってやつで、
25%は劣性の形質を持った子供ができるらしい。
病気に弱かったり収量が少なかったり。
というわけで今、ほとんどの農家は
f1の種を毎年購入して使っているらしいんだけども、
市場競争ってやつの負の一面だなあこれは。
ほんとはもっと持続性の高い産業なのにね、農業。
農機具に関してもそうで、
そういった部分に投資しないと、
売れる野菜が作れないと。
で、農薬撒かざるを得ないと。
でも自分らの食べるぶんには撒かないと。
あっ、愚痴っぽくなってきた。
制度を批判する事に対しては、
非常に複雑な思いがある。
The BeatlesがRevolutionで歌ってたように、
「それより君の頭を変えたらどうだい」
「心を自由にしてやったほうがいいんじゃないかい」
っていう立場にすごく賛成なんだけれども、
といって何もかもを見過ごすのもまた気持ち悪いなあと。
うん、続きを書いていたら
やたらと長くなりそうになったので、
また明日書きます。
頭冷やそう。
月夜
すごく眠いけど、
せっかく始めたので今日も続けてみる。
しかし日記にタイトルをつけるのは
なかなか難しいな。
これを書こうという主題が
特にあるわけでもないから。
今日はたくさんタネをまいた。
ハーブ中心に、7種類ほど。
麻袋にミニゴボウとニンジンを植えた。
通気性がいいから根菜が良く育つらしい、
という噂を頼りに。
あと、見慣れない真っ赤なカミキリムシを見た。
ちょっと怪我をしているのか、
縁側のあたりをひょこひょこ歩いていた。
ハアリが蟻の巣からたくさん
出てきているのも見た。
アレは新しい子孫を残すための
雄と雌が羽を持って生まれてくるらしい。
そして結婚飛行をするんだと。
蜂にも似たような習性があるが、
わざわざ交尾を空中でする事に、
ロマンチックである事のほかに
どういう利点があるのだろう。
蟻の視点に立ってみれば
すごく感動的な瞬間ではあるだろうけど。
きっと映画的なんだろうな。
仕事上の消耗品をネット経由で注文する。
約2万円ほど。
東京にいた頃は秋葉原まで自転車を
漕いだりしていたけれど、
これはずいぶん楽だな、と思う。
それでいて安い物を探せるし。
会話の流れで昔の事を思い出す。
小学校に入学する前後の頃だったか、
父に連れられてよくゲームセンターへ行った。
そこで祖父が管理人の仕事をしていたのだ。
そのころはドラゴンスピリットという
シューティングゲームがお気に入りだった。
笑顔の祖父が思い出される。
その頃はわからなかったけれど、
勤務先に孫が訪ねてくるというのは、
顔をほころばせる出来事なんだろうな。
わりと気むずかしい祖父だったけど、
あの場所との連想で思い出した時、
どうしてもその顔は笑顔になる。
記憶の海、っていう言葉があるけれど、
その不思議さと広がり、深さという点で
すごくいい例えだと思う。
月が明るかったので少しだけ夜の散歩をした。
季節の変わり目の夜にありがちな
なんだかドキドキする匂いはもうしなくって、
もう夏に入ってしまったのか、
それとも夏はまだ先なのか、
俺の感受性が年を取ってしまったのか、
理由はわからないけれど何だか
損をしたような、少し寂しいような気がした。
でも月はすごく綺麗だった。
せっかく始めたので今日も続けてみる。
しかし日記にタイトルをつけるのは
なかなか難しいな。
これを書こうという主題が
特にあるわけでもないから。
今日はたくさんタネをまいた。
ハーブ中心に、7種類ほど。
麻袋にミニゴボウとニンジンを植えた。
通気性がいいから根菜が良く育つらしい、
という噂を頼りに。
あと、見慣れない真っ赤なカミキリムシを見た。
ちょっと怪我をしているのか、
縁側のあたりをひょこひょこ歩いていた。
ハアリが蟻の巣からたくさん
出てきているのも見た。
アレは新しい子孫を残すための
雄と雌が羽を持って生まれてくるらしい。
そして結婚飛行をするんだと。
蜂にも似たような習性があるが、
わざわざ交尾を空中でする事に、
ロマンチックである事のほかに
どういう利点があるのだろう。
蟻の視点に立ってみれば
すごく感動的な瞬間ではあるだろうけど。
きっと映画的なんだろうな。
仕事上の消耗品をネット経由で注文する。
約2万円ほど。
東京にいた頃は秋葉原まで自転車を
漕いだりしていたけれど、
これはずいぶん楽だな、と思う。
それでいて安い物を探せるし。
会話の流れで昔の事を思い出す。
小学校に入学する前後の頃だったか、
父に連れられてよくゲームセンターへ行った。
そこで祖父が管理人の仕事をしていたのだ。
そのころはドラゴンスピリットという
シューティングゲームがお気に入りだった。
笑顔の祖父が思い出される。
その頃はわからなかったけれど、
勤務先に孫が訪ねてくるというのは、
顔をほころばせる出来事なんだろうな。
わりと気むずかしい祖父だったけど、
あの場所との連想で思い出した時、
どうしてもその顔は笑顔になる。
記憶の海、っていう言葉があるけれど、
その不思議さと広がり、深さという点で
すごくいい例えだと思う。
月が明るかったので少しだけ夜の散歩をした。
季節の変わり目の夜にありがちな
なんだかドキドキする匂いはもうしなくって、
もう夏に入ってしまったのか、
それとも夏はまだ先なのか、
俺の感受性が年を取ってしまったのか、
理由はわからないけれど何だか
損をしたような、少し寂しいような気がした。
でも月はすごく綺麗だった。
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