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SunSugarSonBlog

夜の護国寺


2008/10/10 03:40  Permalink   del.icio.us livedoorクリップ Yahoo!ブックマークに登録 Buzzurl このページを行き先登録

小石川あたりの友人宅で作業をさせてもらい、
千駄木の蔵で三十日鳥の稽古に少し顔を出して、
帰り道、ふと気になって護国寺に立ち寄りました。

よく手入れされた松のシルエットの向こうに見える
膨らんだパンのような月が綺麗でした。

本堂の閉じられた扉の前に立つ。
年を経た木材の存在感と言うのはすごい。
照明に照らし出された屋根の裏側の造りもすごい。
とりあえず、閉じた扉に向かって一礼。

護国寺の空は広い。
鈴虫だとかコオロギだとか、
あとは名前もわからない色んな虫が鳴いている。
大仏様の隣の石のベンチで
少し横になってみようかと思ったが、
断りも無しにそんな事をするのも
失礼な気がして、大仏様の前へ。

最近はこういう宗教的な場所に来ると、
なんだか無性に拝みたくなります。
拝まずに勝手に楽しむのが申し訳ないというか。
とにかく一度拝んでおかないと気持ちが悪い。

ここ最近、神秘主義的な傾向が
自分の中で強くなっているのは自覚しているけど。
どうも「いただきます」を言わずに
食事をするのが気持ち悪いのと似ている。

幸い人通りも無いので、
ゆっくりと気持ちを落ち着けて目を閉じ、
深く頭を垂れると、
足音が近づいて来ました。
ゆっくりと体を起こしはしたものの、
どうにも決まりが悪く、
そのまま帰ろうかと思って門へと向かうが、
やっぱりもう少しここに居たいので、
意味も無く髭をいじりながら踵を返す。

歩いてきたのは寺の坊さんのようだ。
こちらには目もくれず、
灯りのついた建物へ向かって歩いてゆく。

「坊さんで良かった」と、
少し安心する。
通り過ぎたのが同世代の人だったりしたら、
かなり恥ずかしい思いをしたはずだ。
そのくせ、こんな事を日記に書くのは、
そこまで抵抗感がない。

一安心して、ベンチに座る。
ゆっくりと呼吸して、虫の声を聞いて、月を眺める。
そうだ、せっかくこんなにいい場所なんだから、
瞑想をしてみよう、と思って目を閉じる。

以前、ひかり祭りでヨガのワークショップを受けた。
講師の先生は、ヨガというのは
自分の呼吸の状態、意識の状態に
自覚的になる事だと言っていた。
自分の呼吸が落ち着いているのか乱れているのか、
自分が何かに気をとられているかそうでないか、
例えば何かの音に気をとられたとして、
それに気をとられた自分に気が付く事。
そういう自分を、ただ観察する事。

リュックを背負ったまま、
ベンチの上で背筋を伸ばし、
ゆっくりと呼吸をする。
また足音がする。
だれかが石段を登ってくる。
急に呼吸が荒くなる。
今の状態を見られる事を恐れている自分がいる。
でも、今ここで瞑想をする事は、
本当に自分の望んでいる事なのだから、
止める必要はないと思う。
目を閉じていれば、
誰の姿も存在しない。
しかし音は聞こえる。
その存在すら、意識しなければ
自分にとっては無いと同じだ。
いつか足音は止んだ。
思考に囚われていた自分に気づき、
今感じられるものに意識を委ねようとする。

音を聞くのでもなく、
まぶたの裏を見るのでもなく、
思考にも囚われず、
ただ、在ること。








完全に自分を無にするのは難しいけど、
呼吸はだいぶ穏やかになった。
立ち上がって石段を降り、
自転車に跨って不忍通りを走り出す。

護国寺という名前から、
国を護るという事、戦争、自民党、
人々の精神状態、それぞれの神、宗教とは云々、
色々考えかけたが、
とりあえず結論の出ない問題は置いといて、
自分の心が穏やかになったら、
世界もだいぶ穏やかになった気がした。


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