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SunSugarSonBlog
モノの物語
色々書いてみたのだけど、
やっぱり載せない事にした。
特定の誰かを責めるつもりはないのだけれど、
それでも不快な思いをする人がいそうだから。
最小限の体験を引き合いに出しながら
語ってみる。
まずはこの映像を見てください。
「モノの物語(the story of stuff)part1」
この映像自体は先日、地元で地域通貨の流通促進を
目指して活動している(ちょっとニュアンスが伝わり
づらいかもしれないけど、これはまた後述します)
「トランジション藤野」で紹介してもらったもので、
自分としては長年の謎が少しばかり解けたなあという感じでした。
もちろんあらゆる情報や価値観は、
自分の頭で検討してから飲み込むべきもので、
この中で言ってる事を鵜呑みに
すべきではないのだけれど、
一つ5ドルのラジオを買おうと思って
ふと気づいたっていうくだり、
あれが目からウロコでした。
自分はこの商品の対価を払っていない。
じゃあ誰が払ったの?
途上国の人々が、天然資源や、きれいな空気で、
あるいは非保険雇用での労働etc...で、
対価を払った。
なるほど!と。
百円均一に大量に並ぶ
MADE IN CHINAの商品を見る時に、
脳裏にふとよぎる罪悪感、
(そういう時は大抵、
戦時中の富岡製紙工場のように過酷な
環境で働かされる中国の女工たちの
ドキュメンタリー映画
「女工哀歌」の予告編が思い出される。
本編はまだ見ていないのだ。)
その罪悪感だけはもやもやとしているのだが、
システムがいまいち理解できずにいた所のもの、
つまり国際的に経済強者であるという事は
いかなる事であるのか、という問いについての、
一つの回答が提示された気がしたから。
中国で環境破壊が加速している事に対して、
そうした短期的な視野に立っての
なりふりかまわぬ発展という時代を
すでに通り過ぎた国の民としての、
変な優越感でもって、
あの国はまだ環境意識が低いから、
なんていう思考が自分の中にもあった事を
とても恥ずかしい事だと思った。
そうやって環境を破壊しながら
生産しているものを、
安いからというそれだけの理由で
購入してしまう自分は明らかに
その環境破壊に加担しているわけで。
そうやって作られた物に
囲まれて暮らしているのが
今の自分たちの生活なんだなと。
原材料などのレベルまで遡ってみれば、
世界中の環境破壊に依存しているんだな、と。
日本では一人当たり、
平均して一年に10kgの服を買い、
9kgを捨てている計算になるらしい。
その多くは、市場に流通する事無く、
ブランドとしての価値を維持するために
焼却処分されている高級ブランドの服だろうと
思うのだけれども、
それにしたって
様々な理由で自分が捨てる服を、
うっかり途上国の人たちに見られて、
胸を張っていられる人って
中々いないんじゃないだろうかと思う。
それもまた、システムのからくりの中で
転がされているのかな、とも思うけれど。
『不都合な真実』がはやっていた頃、
アル・ゴアが日本のTVに出演して、
省エネ対策の施された最新家電を買うことは
地球温暖化対策に繋がるって言いながら、
変な笑顔を浮かべているのをみて、
ああ、この人も結局、
企業の利益を代弁する政治家なんだな、と
少し失望したんだけれど、
その失望は的外れな物ではなかったんだなと
この映像を見て再認識した。
今は「エコ」という新たな流行を、
いかにして消費に結び付けていくかという所で、
いろんな企業が悪戦苦闘しているのだろうな、
と思う。
自分たちの生活スタイルを見直して、
身の丈に合った暮らし方、という物を
実践していかない限り、
こんな馬鹿騒ぎは続きはしないと思う。
ってやっぱりぐだぐだと
クダをまいてしまった。
こういう事を話していると
きっと身近な友達から反発をくらったりして、
そんな事で口論したりするのも嫌だから
そうした思いを全部託して
映画にしちまおうと思っていたのだけど、
なんだかストーリーが転がらなくなっちまったから
こんな形で噴出したのかなあ。
ばらばらのアイデアはたんまりあるのだけど、
それらを結んでいくストーリーが
中々上手に語れない。
うーん便秘だ。
それでも、また転がしたい気持ちが
高まってきているから、
そろそろ動けるんじゃないかとは思っているんだが。
やっぱり載せない事にした。
特定の誰かを責めるつもりはないのだけれど、
それでも不快な思いをする人がいそうだから。
最小限の体験を引き合いに出しながら
語ってみる。
まずはこの映像を見てください。
「モノの物語(the story of stuff)part1」
この映像自体は先日、地元で地域通貨の流通促進を
目指して活動している(ちょっとニュアンスが伝わり
づらいかもしれないけど、これはまた後述します)
「トランジション藤野」で紹介してもらったもので、
自分としては長年の謎が少しばかり解けたなあという感じでした。
もちろんあらゆる情報や価値観は、
自分の頭で検討してから飲み込むべきもので、
この中で言ってる事を鵜呑みに
すべきではないのだけれど、
一つ5ドルのラジオを買おうと思って
ふと気づいたっていうくだり、
あれが目からウロコでした。
自分はこの商品の対価を払っていない。
じゃあ誰が払ったの?
途上国の人々が、天然資源や、きれいな空気で、
あるいは非保険雇用での労働etc...で、
対価を払った。
なるほど!と。
百円均一に大量に並ぶ
MADE IN CHINAの商品を見る時に、
脳裏にふとよぎる罪悪感、
(そういう時は大抵、
戦時中の富岡製紙工場のように過酷な
環境で働かされる中国の女工たちの
ドキュメンタリー映画
「女工哀歌」の予告編が思い出される。
本編はまだ見ていないのだ。)
その罪悪感だけはもやもやとしているのだが、
システムがいまいち理解できずにいた所のもの、
つまり国際的に経済強者であるという事は
いかなる事であるのか、という問いについての、
一つの回答が提示された気がしたから。
中国で環境破壊が加速している事に対して、
そうした短期的な視野に立っての
なりふりかまわぬ発展という時代を
すでに通り過ぎた国の民としての、
変な優越感でもって、
あの国はまだ環境意識が低いから、
なんていう思考が自分の中にもあった事を
とても恥ずかしい事だと思った。
そうやって環境を破壊しながら
生産しているものを、
安いからというそれだけの理由で
購入してしまう自分は明らかに
その環境破壊に加担しているわけで。
そうやって作られた物に
囲まれて暮らしているのが
今の自分たちの生活なんだなと。
原材料などのレベルまで遡ってみれば、
世界中の環境破壊に依存しているんだな、と。
日本では一人当たり、
平均して一年に10kgの服を買い、
9kgを捨てている計算になるらしい。
その多くは、市場に流通する事無く、
ブランドとしての価値を維持するために
焼却処分されている高級ブランドの服だろうと
思うのだけれども、
それにしたって
様々な理由で自分が捨てる服を、
うっかり途上国の人たちに見られて、
胸を張っていられる人って
中々いないんじゃないだろうかと思う。
それもまた、システムのからくりの中で
転がされているのかな、とも思うけれど。
『不都合な真実』がはやっていた頃、
アル・ゴアが日本のTVに出演して、
省エネ対策の施された最新家電を買うことは
地球温暖化対策に繋がるって言いながら、
変な笑顔を浮かべているのをみて、
ああ、この人も結局、
企業の利益を代弁する政治家なんだな、と
少し失望したんだけれど、
その失望は的外れな物ではなかったんだなと
この映像を見て再認識した。
今は「エコ」という新たな流行を、
いかにして消費に結び付けていくかという所で、
いろんな企業が悪戦苦闘しているのだろうな、
と思う。
自分たちの生活スタイルを見直して、
身の丈に合った暮らし方、という物を
実践していかない限り、
こんな馬鹿騒ぎは続きはしないと思う。
ってやっぱりぐだぐだと
クダをまいてしまった。
こういう事を話していると
きっと身近な友達から反発をくらったりして、
そんな事で口論したりするのも嫌だから
そうした思いを全部託して
映画にしちまおうと思っていたのだけど、
なんだかストーリーが転がらなくなっちまったから
こんな形で噴出したのかなあ。
ばらばらのアイデアはたんまりあるのだけど、
それらを結んでいくストーリーが
中々上手に語れない。
うーん便秘だ。
それでも、また転がしたい気持ちが
高まってきているから、
そろそろ動けるんじゃないかとは思っているんだが。
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