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SunSugarSonBlog

イタチノヘ 10


2010/08/18 12:18  Permalink mixiチェック  


ノジマ家のリビングルームに冥界への穴が
開いたのは、ちょうど今から一ヶ月ほど前の事だ。
それを最初に発見したのは、
ハウスキーパーとしてこの家で働いている、
ニムサという名の若い女性だった。
ハウスキーパーといっても、
掃除や洗濯といった基本的な家事は大抵、
それらの目的に特化した虫たちが働いてくれるので、
ニムサの役目といえば気まぐれで多動的な幼い兄妹の
面倒を見ることと、彼らがいたずらにひっくり返してしまう
清掃用の虫を元の姿勢に戻してやる事くらいだ。
清掃用の虫というものは、床面のごみやほこりを集める
その性質上扁平な形をとらざるを得ないようで、
一度そうした無邪気な子供らの手で
仰向けにされてしまうと、その六本の足を空しくバタつかせ、
床の上に転がった玩具や家具に背中をのせて運よく
元の姿勢に戻れるまで、ひたすらもがいているのだ。
遺伝子操作は人間のあらゆる欲求に答えられるわけではなく、
自然の中にある多様な形態の中から、
そうした欲求を満たすに最適な形を選び発展させる、
といった所が限界であるらしい。

ともあれ、その日ニムサは、
落ち着きのないその兄妹をなんとか共に
寝かしつける事に成功し、
ようやく自分のための時間がもてたといった所で、
バッグから取り出した電子書籍を読み始めていた。
内容は近頃ベストセラーとなっている
中堅作家の恋愛小説である。
それほど夢中になるでもなく、
かといって退屈するでもなく、
淡々と10分ほど読み進めた頃であったか、
ニムサはふと、異臭のするのに気が付いた。
腐りかけのピンクのような、
生臭い匂いだった。
またか、とニムサは思った。
あの子たちが、食べ物をひっくり返して遊ぶのは
これが初めてではなかったからだ。
そうした事に対する躾はとても難しかった。
子供を叱るという事に対して、
この家の母親はいつも過敏に反応したし、
ニムサ自身、人に対して怒りを表明する事に
大きな抵抗があった。
彼女は、たとえ相手が子供であっても、
関係に不和をもたらすような感情を表に出すことを、
いつもひどく躊躇した。
だが、今回はそうした葛藤に直面する事はなかった。
というのも、兄妹は相変わらず、
幼児用マットの上で寝息を立てていたからだ。
ニムサは匂いの元を探した。
自分の座っていたソファの周辺が一番匂う事に気づき、
恐る恐るその下を覗いた時、
ニムサは戦慄した。
暗がりの中からこちらを見つめる、
二つの瞳と眼があったのだ。
その眼光は、あきらかに何か不吉なものを感じさせ、
同時に、ニムサはひどい嫌悪感を覚えた。
「ギョッ!」という短い叫び声を発して、
そいつはソファの下から飛び出し、
戸棚の裏に入り込んだ。
その動きが素早かったので、
はっきりと姿を見たわけではなかったが、
それはウサギほどの大きさをした、
くすんだ緑色の生き物だった。
ニムサは思わず、武器になりそうなものを部屋の中に求めた。
なかなか手頃な物が見つからなかったが、
最終的に彼女が選んだのは、写真好きのこの家の主人が使う、
小型の三脚だった。
多少重かったが、それは即ち、あの程度の生き物に対しては
この道具が十分な殺傷能力を持つことを意味していた。
ニムサは三脚を片手にもったまま、
例の戸棚に近づき、
おそるおそる足で蹴ってみた。
動く気配は無い。
腰がひけたまま、ニムサは空いている片方の手で
戸棚をガタガタと揺さぶってみた。
今度は音もなくやつが飛び出してきた。
ニムサはすかさず三脚を振り下ろした。
紫色の血があたりに飛び散った。
背中を砕かれもがくその生き物の顔を見て、
ニムサはさらに嫌悪感を募らせた。
口からはとがった薄黄色の牙が覗き、
頭は皺だらけで体毛は無く、つぶれた鼻とまぶたの無い目、
そして、底なしの穴を思わせる暗い瞳。
それは、お伽話に出てくる子鬼に瓜二つの姿だった。
ニムサはためらう事無く再び三脚を振り下ろし、
その息の音が絶えた事を確認すると、
安堵と恍惚の吐息をもらした。

ソファを動かしてみて判ったのは、
いつのまにか床に直径10cm強の穴が開いていたと言う事だった。
やがて帰宅したこの家の主人とその妻は、
突然の事に当惑しながらも、とりあえずはどこまで
続いているのか判らないその穴を埋める事にした。
穴を埋めるのには強化樹脂セメントが使われた。

だがその一週間後、今度は一家が夕食後の団欒をしている
その時に、再び子鬼があらわれた。
夫人は金切り声を上げ、子供は恐怖から母親の体にすがりついた。
夫は猛然と子鬼に飛び掛り、
樹脂の蓋を破ってまだ辺りを見回していた子鬼の頭を素手でつかむと、
それを床に叩きつけ、足で踏み潰した。
夫人も子供たちも、そのように野性的で残酷な夫の姿を見るのは初めてだった。

やがて様々な事が判ってきた。
子鬼は必ず、決まった周期で穴から現れる事。
その穴に、どのような蓋をしても、
必ずそれは破られる事。
子鬼を殺すことは、
それほど難しくは無いという事。

そのうち、リビングルームには子鬼が現れる時刻を
あらかじめ予測したタイマーが置かれ、
アラームがなると同時にノジマ家の住人は
夫人から幼い子供に至るまで、
すかさず手近な武器を取って
子鬼狩りをするようになった。

その殺し方については、
残酷さがどんどんとエスカレートしていき、
生きたまま生皮を剥いだり、
腕や足を捻じ切ったり、
熱した油を浴びせたりと、
思いつく限りの方法を誰もがためし、
そしてそうする事に罪悪感を感じる事もなく、
むしろ恍惚として喜びを感じるのであった。

こうした残酷さ、攻撃性といった、
社会生活を営む人間が普段眠らせている
ある種の感情的な活動を、
極限まで引き出すというのが彼らの能力であり、
そうやって個々の命を犠牲にしながら、
この社会を精神的に侵略していくという、
冥界の計画に人々が気づいたのは、
それからずっと先のことである。


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