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SunSugarSonBlog Page 2

覚書その1 m2tsファイルの変換


2011/02/18 11:40  Permalink  

今回は完全に事務的内容です。
この情報を必要としていない方は
すっ飛ばして下さい。よろしく。


さて、たまーにやる作業は忘れやすい。
DVDから取り出した動画を編集したり、
AVCHD対応のハンディカムで撮った動画を
premiereで読み込むために変換したり、
まあ他にも色々あるんだけど、
今回は後者についての覚え書き。
ネットサーフィンしてやり方わかっても、
しばらく経つと忘れてしまって、
同じ情報に辿り着くためにまた
サーフィンするという時間の無駄を省くために。
かつ、同じところでつまづいて、
ネットの森をさ迷っている同胞のために。
ま、自分のやり方なんで、
他にもっと効率の良いやり方があったり、
だれかの痒い所に手が届かないかもしれませんが。

----------------

sonyのハンディカムをはじめとする
家庭用小型ビデオカメラで撮影された
AVCHDファイルは、映像がh.264、音声がac3という
コーデックで、m2tsコンテナに収められている。
これをpremiere CS3で読み込もうとすると、
サポートされていない形式か、
ファイルが壊れているため云々、
とケチをつけて読み込んでくれない。

で、どうするかというと、

①m2ts→mpgに変換

ハンディカムなら付属のPMB
というソフトを使用して、m2ts→MPEG-2に変換。
(活用→変換→MPEG-2形式で保存)

*他社製機種についてはよくわかりませんが、
付属ソフトなんかでできなければ
「m2ts mpg 変換 フリーソフト」あたりで
ググって下さい。

これでコンテナはmpgになるわけだから、
premiereで読み込む事ができるのだけど、
映像だけでなぜか音声が出ない。
どうもac3という音声形式が、
普通のmpgの音声形式と違うらしくて、
そのへんが問題らしい。という事で、
音声ファイルだけを変換します。

→(追記)
どうも、この先の手順を省く方法が
あったようです。
Encore CS3直下の
「ad2ac3dec.dll」というファイルを
Premiere CS3直下にコピペする、というやり方。
こんな簡単な作業でさっくり解決。
なぜデフォルトでそうしておかないのだ。。。?


C:\Program Files\Adobe\Adobe Encore CS3\ad2ac3dec.dll

をコピーして

C:\Program Files\Adobe\Adobe Premiere Pro CS3\

にペースト。

そんだけ。


②mpgファイルを映像と音声に分離

TMPGEncというフリーソフトを使って、
mpgファイルを映像(m2v)と音声(ac3)に分離します。
やり方は下記サイトに詳しいので、
よく読んでみて下さい。

TMPGEncを使って、エムペグ(MPEG1 MPEG2)を映像と音声に分離


③ac3をwavに変換

xrecode Ⅱというソフトを使用します。
使い方も下記ページに書いてあります。
かなり視覚的に操作できるソフトなんで、
難しくはないと思います。
あとちょっと!がんがれ!

xrecode Ⅱ - k本的に無料ソフト・フリーソフト


④m2v、wavをpremiereに読み込み

ここまできたら、それぞれのファイルを
premiereに読み込むだけですね。
TMPGEncを使って、映像と音声を結合させる事も
できるのかもしれませんが、
自分は面倒なんで、premiereのタイムライン上に
ならべてリンクさせちゃいます。
この時、映像と音声がずれたままリンクしちゃうと、
なんだか気持ち悪いことになるので注意!
きちんと先頭を合わせてからリンクしましょう。

----------------

とまあこんな感じで、
読み込む事ができますが、
まあ面倒くさい!
いったいどれだけ手順を踏めばいいんだ!
って感じですよね。
おそらく家庭用PCでの編集を前提としていない
機種って事なんでしょうね。
しかしそんな事は買う前によほどリサーチしない
限り解らないから、困ったもんです。
きっとSONYの事だから、VAIOで編集するなら
サクサクできたりするんでしょうね。
あるいは、発展途上の技術なので、
時の経つのを見守るしかないのかもしれません。

あんまりこんな事を人に教えるタマではないのですが、
変換作業中のヒマを使って書いてみました。
アバウトな知識ですんません。


熊野の旅 前半


2011/01/11 00:42  Permalink  

年末年始はパートナーと二人で熊野へ行ってきました。
初日の宿だけを予約してのいきあたりばったり旅行。
そのうち映像もまとめてアップしたいけれど、
まずは文章で旅の思い出を綴ってみる。

中央線で北から雪国をぐるりと回り、
まずは三重県の関宿へ。
東海道の宿場町で、古い町並みを
保存しながらも観光地化しないという、
粋なたたずまいの町。
古民家を改装した旅人の宿『石垣屋』に宿泊。
とにかく町並みが、建物がかっこいい。
そして宿に泊まっている人たちがあったかい。
車にのせてもらい近くのホテルの貸し湯へ。
その後はスーパーで食材を買い、
みんなで鍋を囲む。
酒はほとんどがお客さんの差し入れという事で、
何十種類とある銘酒がすべて飲み放題。
そこにある酒を飲んだお客さんが、
次回来る時に差し入れを持ってくるので、
常に大量のストックが発生するらしい。
Give and Giveの精神だなあといたく感得。
ぐるぐるに酔ってこたつでダウン。
しかし静岡出身だという女の子に起こされる。
4人組で静岡から来ていて、
明日熊野古道に行くというのだ。
なんと車に乗せてくれるという。

翌日はありがたく車に乗せてもらい、
熊野古道へ。
ギターとジャンベの間に挟まるようにして車に揺られる。
熊野古道というのは、かなりたくさんのルートから
構成されているのだが、
今回はまず小手調べという事で、
比較的易しいとされる伊勢路の一部、
馬越峠を歩いてみた。
古い石畳を歩きはじめた直後、
猿の一行が行く手を横切る。
全部で10頭ほどで、小猿も4頭ほどいただろうか。
あれはどういう構成なのだろうか。
やっぱりボスとなるオス猿が1頭だけいるのだろうか。
小猿はちゃんと大人の猿に挟まれるようにして
横切っていった。
ああいうのが原初的な家族だったのだろうかと、
いろいろ思いを巡らせた。
石畳に落ちる木漏れ日はすごく綺麗だった。
途中、杉の大木があって、
その樹皮に耳を当ててみた。
水の流れる音が聴こえるような気がした。

峠を半分まで行った所で、
その日の宿まで行く時間が残り少ない事に気づき、
来た道を引き返す。
車に乗り込んで紀伊半島の南端を目指す。
途中、網の目のような模様をした奇岩を発見。
車を降りてしばし楽しむ。
溶岩が海に落ちる時に、
その熱で一瞬にして蒸発する海水の水蒸気が、
冷えて固まった溶岩の中に泡として残って、
そういう地形を作ったのかなと推測したが、
正しい事は解らない。
特に観光地として紹介されている場所でもないようだ。
2010年最後の日の入りを南端の岬で見ようと思ったが、
着いた時にはほとんど日は沈んでいて、
あまりの強風に波は荒れ木々はざわめき、
すごく不安な気分にさせられる海辺だったので
とっとと車に帰った。
その日の夜は田辺にある『ブッダゲストハウス』に宿泊。
実はこの宿、出発前の下調べで発見し、
泊まりたいけど遠いから無理だろうと
諦めていた宿だったのだが、
同行の4人が予約していたのだ。
しかも別働隊の友人たちがすでに到着していて、
その日は貸し切り状態だという。
なんという偶然。
宿に到着し、楽しげなメンバー達に迎えられる。
うち一人とは共通の友人が何人かいる事が判明。
宿にはオーナーが各地を旅して集めたのであろう、
小さな仏像や法具などが飾られている。
そして当のオーナーはいない。
今日はもう帰ったという。
なんというゆるさだろうか。
犬の持ち込みもOKなようで、
一頭はケージの中、一頭はそのへんを
うろうろしている。
鍋をつつき酒を飲み、年の明けるのを待つ。
そのうちにまたダウン。
年越し直前に偶然だか起こされたんだか
とにかく目が覚めて、無事に年をまたぐ。
近くの神社へ初詣に出かける。
お参りをしたけど、今年は特に何も
願い事はしなかったかなあ。
最近は、なるべく願い事をしないようにしているのだ。
ただ、心から感謝して、祈りを捧げられるのが
理想だと思っている。
たまには願い事も言うけどね。

宿に戻って眠りに落ちる前に、
明日は天川弁財天に行ってはどうか、
という提案が耳に入った。
実は、4人のうちの1人、
車を運転していたA君も、
天川に行ってみたいと思っていたらしいのだ。
またもや偶然である。
いつか行きたいと思っていた天川に、
元旦早々行けるかもしれない。
別働隊のメンバーは大晦日に天川に行ってきたらしい。
「まあ無理していく所ではないけどね。
タイミングで行ける時に行ける場所だから」
そんな言葉が耳に残ったが、
期待を抱いてその日は眠った。

翌朝、天川弁財天社のHPを読む。
宮司さんはかなり頭の柔らかい人のようだ。

人やすべての生き物は、地球という大きないのちの
一部である、という考えが神道の原点にはあり、
それは近代科学の発見したガイア理論と一致するものだ。
だが現代ではそうした感覚が失われて久しく、
その事によって精神に大きな欠落が生じている。
精神の健康を取り戻すための特別な時と場所を
提供するのが神道の務めであり、
それには伝統的なご神事だけではなく、
写経でも瞑想でも気功でもヨガでも、
森林の散策でもなんでもかんでも、
効くものは何でも取り入れていこうと。
たしかそんなような主旨の事が書いてあった。
(かなり割愛しているので、気になる人は上記リンクの
「社務所より皆様へ」ってページを読んでみて下さい)

そんな感じに要約して、
天川の面白さをプレゼンしてみると、
それほど乗り気ではなかった島田出身のHが
ぱかーんと盛り上がって、
まだ眠っているA君とY君を起こしに行き、
温泉に行っていたOちゃんの帰宅を待って
天川へ向かう事に。

宿を出る直前になってようやくオーナーが登場。
あやうく宿泊費を払い損ねる所だった。
なんというゆるさだろうか。
みんなで記念撮影をして出発。
宿でHとさんざんじゃれていたムクムク犬のプーが、
車が出る間ずっと悲痛な叫びを上げていたが、
車が走り出すと抱かれていた腕からするりと
抜け出し、吠えながら車に追いついてきた。
うわあ、映画だなあと思ったのだが、
一瞬遅れてその姿を撮影できなかった。
無念。

車はまだ紅葉の残る紀伊半島南部から、
奈良県天川村を目指し北上する。

どうやらずいぶん長くなってしまいそうなので、
続きはまた次回。


トロトロと


2010/12/29 01:50  Permalink  

いやあ、自分は本当に3日坊主だなあ、と。
毎日綴ってみようと思ったブログであったが、
連続3日でぱたりと止まってしまった。
でもまあ、眠い時に書かなきゃ書かなきゃ、
っていうのも何だか何だかなので、
これくらい空いても良しとしよう。

実は前々から、ブログをプライベート用と仕事用と
わけてはどうかと考えていたのである。
と言うのも、自分はこのサイトを通じて仕事の依頼を
受ける事が多いので、このブログで書く内容には
けっこう気を使うのである。
自分のありのままの姿を書く事に対する欲求と、
仕事上それはまずいだろうという懸念との間で
葛藤があったのだ。

で、まあ結論から言うと、
わけない事にした。

この間、Jさんの家の忘年会に誘われた。
日本のロック黎明期から第一線で
撮影を続けてきた巨匠である。
某パーティーのオーガナイザーも来るという。
あのウッドストックに参加していた生きる化石である。
自分は果たして、うまく話せるだろうかと不安になった。
そして、いろいろと思い出したのだ。

自分は以前、左半顔面神経麻痺という症状を
患っていた。病でなく症状と書くのは、
医学的に明らかに出来たのは、
原因ではなく、結果として現れた症状だけだったからである。
10日間入院してさまざまな検査をしたが、
皆目原因がわからなかった。
医師は最初の診断で、
「精神的なショックとか、何か思い当たる事はありませんか?」
と自分に尋ねたが、
その時自分はわからないと答えた。
それは本心だったのだが、
今になって振り返ってみれば、
なぜわからないと思ったのか不思議でならない。
それほど、精神的な負担を抱えていた時期だった。

まず、電車の中で痴漢呼ばわりされた事。
その時の気持ちはたぶん、言葉にしても伝わらないと思う。
車内の空気がひやりと冷たくなって、
周囲の人間全てが一瞬にして敵にまわったような、
孤独な恐怖。
自分は本当に何もしていなかったのだが、
トラウマに対する脳の防衛機制なのか何なのか、
やがて自分は強迫観念を抱くに至る。
それは、自分の思考が他人に筒抜けに
なってしまっているのではないか、というものだ。
つまり、自分の性的な妄想が周囲の人に
漏れたために、痴漢と呼ばれたのではないか、と。
統合失調症の患者にそうした思考パターンがよく見られる、
という事は知識として知ってはいたのだが、
そうした知識が状況を改善する事は無かった。
そして、公の場では自分の中の性的なイメージを
押し殺さなければならない、という強迫観念に
取り憑かれてしまったのだ。
そうやって欲求を押し殺そうとすればするほど、
イメージは更に暴れはじめ、
やがて手のつけられない状態になってきた。
自分の直視したくない自分のあらゆる部分が、
押さえつけられる事によって勢いを増し、
それぞれに大声で喚き始めた感じだった。
それは比喩ではなく、
実際に大声が頭の中で鳴り響いていたのだ。
イメージもまるでコントロール
できない有様だった。

それと前後して、
発言恐怖とでも呼べる症状が現れた。
元来人見知りな性格ではあったのだが、
それがエスカレートした、とでもいおうか。
自分が劣等感を感じる相手、
例えば優れた才能を持つ人であったり、
精神的にすごく調和のとれた(ように見える)人であったり、
そういう人と対峙した時に、
全く言葉が出なくなってしまうのである。
これは後から分析した事だが、
おそらく、劣等感に刺激されて、
自分を良く見せたい、という思いが高まり、
下手な発言をして自分を低く見せるわけにはいかない、
という強迫観念が働いていたのではないかと思う。
こうやって書くと、どうもそれだけではないような
気もするのだが、こういう部分が
あった事は確かだと思う。

まあ、そうした諸々を振り返ってみると、
その頃の自分は、
本当の自分を隠したくてしょうがなかったわけである。
そんな状態から、
さまざまな人や言葉や物語に出会い、
あるいは自然に触れる事で、
あるいは幼少時の記憶を呼び起こす事で、
本当の自分を、まずは自分が認める事、
それが最も大切な事なのだと悟った。
言葉にしてしまえば本当に陳腐なのだが。
理想化した自分像というものがあって、
それは様々な体験から生成されるのだろうけども、
その理想像にそぐわない自分の様々な部分を、
これは自分ではない、と切り捨てて来たのだ。
そうやって、自分が自分であると認めている領域と、
そこからはみ出てしまった領域とで、
人格が分断されていたような気がする。
そうしてはみ出した部分が発言権を得て、
駄々をこねる子供のように暴れていたのだ。
そういう自分の厭らしい部分に対して、
無視したり押し付けたりするのではなく、
「どうして暴れるんだい?」と、
子供に問いかけるような調子で触れる事を学び、
やがて子供は泣きわめくのをやめて、
おとなしくなった。

なんだか、ふとした事から、
ずいぶん吐き出してしまった。
という事は、これらの言葉は
吐き出されるのをずっとずっと待っていたんだなあ。
麻痺したのが丁度厄年で、だから25か、
精神的な調和を取り戻すにつれて、
自然と麻痺は消えていったのだけれども、
こうやって言葉にして書くには、
3年かかったという事か。
この辺りの経緯は、前回撮影した自主映画
『パライソの週末』のテーマにもなっているので、
物語としては既に語っていたのだけど。
(と言いつつ、ちゃっかり自作の宣伝をする)
ただ、あのころは混沌のまっただ中で、
自分が人に見せたくない領域について、
それを見せなければ映画にならないわけだから、
その事自体が大きな葛藤で、
というかそれが最大の原因なんじゃないかと、
今こうやって書いて気づいたわけなんですけども。
今は自分に対してかなりゆるくなったから、
こうやってある程度冷静に振り返って語る事もできる。
自分について、語れる領域が増えたという事だろう。

で、冒頭の話に戻るんですけれども。
Jさんとこの忘年会に行く日に決意したのだ。
ブログをわける事はやめようと。
そうやって仕事用のイメージを作ってしまうと、
また同じ事の繰り返しになってしまうから。
仕事用に当たり障りの無い事を書くのではなく、
ありのままを書きながら、
ありのままの自分を、この人に撮影してほしい、
と思われるような、そういう自分に近づけていく
努力をすべきなんだと思ったのだ。
「統一は分裂よりも強い」
回復期に出会った言葉の一つだ。

お金をとって仕事をしている以上、
今日の撮影はここが失敗だったとか、
勉強になっただなんて、
そんな事は言えない。
それは理想云々ではなくて、
プロ意識の問題だと思う。
ただ一方で自分は、
やたらと好奇心が強い。
手を出してみたい事は山ほどある。
残念ながら、映像一筋とは言えないのだ。
そこの所は、
隠さなくてもいいかなあと思えて来た。
音楽作るのも、
野菜を作るのも、
遺跡の発掘、、、も?
好きなのである。
(遺跡は、もっと色んな所に行きたいのが本音だが。。。)

あわよくばやってみたい事は
山ほどある。
自分の好きな事を夢中で追求していって、
その結果として蓄積された知識や技術に、
クライアントが価値を見いだしてくれるような、
そんな形で仕事が成立していけば、
言う事ないですよ。
そうやって生きてきたのであろう先達を見て、
ちょっと勇気をもらった年の瀬でした。


熊野路


2010/12/23 23:50  Permalink  

今日は一日家で作業していたのだが、
いつでも書けるからなんて思っていると、
寝る直前まで先延ばしにしてしまって、
睡眠時間を気にしながら
キーボードを叩いている有様だ。

いかんなあ。

もっと落ち着いて、
自分の体験、精神状態、思考を整理するために、
書くべきなんだけどなあ。

今日は昼近くになって起きた。
昨夜の酒が残っていたのか、
偏頭痛がしていた。
米を炊いて遅めの朝食を作る。
白菜の浅漬けと、
かぶのみぞれ汁、
かぶの葉と油揚げの炒め物。
パートナーが作っておいてくれた
カボチャの煮つけと豆アジの南蛮漬け。
ずいぶん豪華な食卓になった。

食材のうち、白菜、大根、カブ、カボチャは
うちの畑から。
お茶はばあちゃんの実家から。
味噌は手作りだけど、
原料の大豆は買っている。
食料自給率30%くらいだろうか。
主食を作りたいね、という話をする。
来年は雑穀に挑戦するつもりだ。

年末年始の休みを使って、熊野古道を
歩いてみようかと思っている。
まずは伊勢路からかなあ。
夏にはテントを張りながら、
何日もかけて歩いてみたいけれど、
今は寒いから安い宿を探して、
小手調べの感じで行ってみようと思う。

どんなところだろう、熊野。

天河弁財天の由来について、
アラスカのグリニッチインディアンの
ストーリーテラー、
ボブ・サムが語っていた話を連想する。

昔、新しい人々が大陸から渡って来た時、
大きな戦があった。
カラスを奉じる人々は、
村を捨てて山奥へ分け入った。
山中に一本の細い道があった。
村の指導者が、まずは一人で
その道を抜けてみる事にした。
途中まで来ると、
背後から戦の黒い煙が押し寄せてきて、
彼を包み込んだ。
彼はそばにあった木のうろに首をつっこみ、
そこの空気を吸って煙をやり過ごした。
うろから顔を出すと、
白かった彼の衣は黒く染まっていた。
やがて彼はその道を抜けて、
谷間の美しい場所に出た。
そこで彼は引き返して一族の人々と共に戻り、
その地に村を造った。
これが天河弁財天の由来である、と。

記憶を辿って書いたので、
細かい部分は間違っているかもしれないが、
だいたいこんな筋だったと思う。

この話、自分にとっては、
いろいろ刺激的な要素を含んでいて、
そのへんは長くなってしまうので
追々書こうと思うのだが、
まあすごく興味深いのである。

熊野古道と天河の関係については、
まだあまり良く知らないのだけど、
あの山深い熊野の路を歩いてみたら、
またいろんなイメージが広がりそうだなあと、
そんな期待を抱いている。


一期一会


2010/12/23 01:27  Permalink  

他の現場に移動になる同僚の、
送別会に参加して終電で帰宅。
もしかしたら今夜を限りに
二度と会わないかもしれない相手。
想像力をたくましくしてみても、
未だにその感覚がうまくつかめない。
人は一期一会の出会いを重ねて行くというが、
もう二度と会えないというのは
なかなか実感として持ちづらいのだなあ。
それはある意味で楽観的と言えなくもないが、
それゆえに取りこぼしてしまう出会いも
あるのではないかという気がする。
それでもやっぱり、
どこかでまた会うような気がしてしまうんだよなあ。



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