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SunSugarSonBlog Page 2
まあ気楽に
日記を書いてみる事にした。
三日坊主だからあまり期待はしないけれども。
ささいな出来事を、記録してみようと思った。
最近、文章から遠ざかってしまっていて、
その事に変な焦りを感じていたから。
何気ない事を書いているうちに、
自然と筆が伸びるのじゃないかと思って。
自分の意識が気づいていない事にも、
何かのきっかけで届くかも、と。
今日は、秘密の場所で採って来た桑の実を
煮詰めてソースを作った。
中央道の裏手、墓地を抜けていく
高速整備用の細い道。
たぶん誰も知らない。
このあたりは、昔養蚕が盛んだったらしく、
町のあちこちに野生化した桑が残っている。
手の届く限りの実を集めたけれども、
両手にやまもり一杯ぐらいがせいぜいだったろうか。
木に登ればもっととれるかもしれないが、
斜面の下は高速だから少し怖いのだ。
庭の畑でとれたものが少しずつ食卓に並ぶようになってきた。
今の所、キュウリ、バジル、ルッコラ、ほうれん草など。
トマトも実がついているし、カボチャも大きなつぼみをつけた。
畑でない所には一面にハルジオンだかヒメジオンが
花を咲き散らせている。
今、隣室の時計が十二時の鐘を打った。
そういえばさっき、
外から聞き慣れない声がしていたけど、
あれは何だったろう。
フクロウがせわしなく鳴いているような、
ほっほっほっほ、という声。
虫の声がなんだか空気を涼しくしているようだ。
眠くなって来た。
おやすみなさい。
三日坊主だからあまり期待はしないけれども。
ささいな出来事を、記録してみようと思った。
最近、文章から遠ざかってしまっていて、
その事に変な焦りを感じていたから。
何気ない事を書いているうちに、
自然と筆が伸びるのじゃないかと思って。
自分の意識が気づいていない事にも、
何かのきっかけで届くかも、と。
今日は、秘密の場所で採って来た桑の実を
煮詰めてソースを作った。
中央道の裏手、墓地を抜けていく
高速整備用の細い道。
たぶん誰も知らない。
このあたりは、昔養蚕が盛んだったらしく、
町のあちこちに野生化した桑が残っている。
手の届く限りの実を集めたけれども、
両手にやまもり一杯ぐらいがせいぜいだったろうか。
木に登ればもっととれるかもしれないが、
斜面の下は高速だから少し怖いのだ。
庭の畑でとれたものが少しずつ食卓に並ぶようになってきた。
今の所、キュウリ、バジル、ルッコラ、ほうれん草など。
トマトも実がついているし、カボチャも大きなつぼみをつけた。
畑でない所には一面にハルジオンだかヒメジオンが
花を咲き散らせている。
今、隣室の時計が十二時の鐘を打った。
そういえばさっき、
外から聞き慣れない声がしていたけど、
あれは何だったろう。
フクロウがせわしなく鳴いているような、
ほっほっほっほ、という声。
虫の声がなんだか空気を涼しくしているようだ。
眠くなって来た。
おやすみなさい。
相模湖だより
パートナーと共に相模湖に引っ越して
約一ヶ月が経った。
山と湖に挟まれた田舎暮らしは
想像していたものよりずっと楽しく、
日々の暮らしにエネルギーを注ぎすぎてしまうのか、
中々ブログを書こうという気になれない。
でもあんまり放置しているのも、
なんだかなあという事で、
近況報告してみます。
生活のリズムが出来てきた事。
朝は7時から8時位に目覚める。
まだ涼しいうちに畑をいじる。
というか、開墾する。
元々畑だった土地を、東京オリンピックの年に
造成したらしい。
だがこの町は土地のオーナーが予想したようには
発展せず、長年放置されていた土地は今再び、
我々の手で畑に戻されているというわけ。
造成地なのででかい石がごろごろ入っていて、
ふかふかの畑にするには相当な根気が必要なのだけど、
物事を一から始めるというのは楽しいものだ。
今はだいたい、六畳ぶんほどが畑になっただろうか。
畑については書きたい事が山のようにあるので、
これは追々書いていこうと思う。
朝食を食べて、だいたい午前中は
映像編集にあてる。
作業の合間に、こまめに目を休めるため、
窓越しに遠くの山を見やる。
緑が段々と深くなってきている。
こんな場所で編集した映像を、
瞬時に東京のクライアントに確認してもらえる
のだから、インターネットの発展には
本当に助けられているというか、
いまだに驚きに近い感情を持つ事しばしば。
昼食を食べてしばし休息。
余裕のある時は、
午後の時間をさまざまな事に使う。
登山道までは歩いて10分以内。
さすがに午後から山頂を目指して登る事は少ないが、
ちょっとした素材や山菜を探したり、
辿ったことのないルートを開拓したり、
あるいは湖のほうへぷらりと行ったり。
相模湖畔のレジャー施設は、
射的や足こぎボートなど、
昭和の隆盛期のラインナップそのままで、
いつ行っても閑散としている。
なんとも言えない味がある場所です。
この間、目の前に突然魚が降ってきた。
トンビが獲物を落としたらしい。
動物って、ぱっと見た所、計算されつくした
動きをしているように見えるけど、
案外まぬけだったりする。
猫が塀に飛び上がろうとして上がれなかったりね。
その魚はトンビには降りづらい場所に
落ちてしまったようで、
上空をぐるぐると回りながらも、
一向に拾いに来る気配がない。
トンビは小回りがあまり利かないようだ。
広い場所に魚を動かしてやってしばらく眺めていたら、
音もなくまっすぐに降りてきて、
見事に魚をつかんで飛び去っていった。
ああいう動きを見ると、
とても魚を落としたりしなさそうなんだけどなあ。
そんなトンビは、時々カラスにいじめられている。
トンビの方が大きくて強そうに見えるのだが、
口ばしが大きく小回りも利くカラスの方が、
空中戦は得意なのかもしれない。
トンビは一旦飛び立つと、
あまりはばたく事はせずに風にのって
滑るように飛ぶのだが、
カラスはそんなトンビを上から下からつっつく。
トンビはピーヒョロいいながら逃げる。
時々後ろを取ったりもするけれど。
そんなカラスは、オナガにいじめられている。
向かいの家の庭木に、オナガが巣を作ったと見えて、
畑をパトロール中のカラスが木に近づくと、
ゲーゲー鳴いて頭上に急降下攻撃を繰り返すのだ。
これまた、オナガの方がずっと体が小さいのに。
この場合は、カラスは最初うるさそうにしながらも、
畑のえさを探して粘るのだが、
さすがに何度もやられるとうんざりするのか、
その内に飛び去っていく。
こういう風景を見るのは、
なぜかしら愉快な所がある。
ハブ対マングースの見世物とか、
ああいうのはすごく悪趣味だと思うのだけど、
やはり動物同士が戦っているのをみると
どこかしら興奮するものがあるんだなあ。
本能、というやつでしょうか。
動物の事になったらずいぶん話が逸れてしまった。
動物については書きたい事が
たくさんあるのだと実感。
毎日発見の連続だからだろうな。
これもまた日を改めて書こう。
夕方、涼しくなると再び畑仕事をやりだす。
石だらけの土地に雑草がしっかり根を張っているので、
スコップで掘り起こすのも重労働だ。
しょっちゅう、カツーンという音が響く。
大抵くたくたになるまで体を使ってから、
家の中へ入る。
この作業のおかげで腹も減るし、
夜もぐっすり眠れるのだと思うとありがたい。
何より充実感がある。
現金収入になるものではないけれど、
実ったものを収穫して食べる日が楽しみだ。
夕食を作って食べて、フロに入って、
大体11時ごろには眠りにつく。
毎食自炊というのもあるけれど、
生活のための労働にかなりの時間を割いている。
そういう事の全てが、
心身の健康に結びついているような気がする。
まあとにかく、元気になってきました。
この場所から、また新たな作品を
生み出せるのでしょうか。
30日には、家具職人さんの自宅兼アトリエの
新築記念パーティーに、
三十日鳥さんと一緒に出演します。
今回も音担当。
会場は釘を使わない昔ながらの組木で出来た家。
すごく気持ちのいい場所です。
詳細はコチラ
そうそう、三十日鳥で思い出したけれども、
前回アップしたエイシャキという作品、
全体的にヒキでの撮影なんで、
僕の作った8mm映像なんてほとんど
見えないんですけど、
せっかくなんで付記しておくと、
青いノイズのような映像は現像済みの8mmフィルムを
コインで削ったもので、
最後の水玉は削りまくって透明になった
フィルムに、歯ブラシで蛍光インクを
飛ばしまくった人力アニメーションでした。
普通に撮影した映像が光量不足で、
照明代わりには到底なれなかったので、
苦し紛れに発明したアイデアです。
イメージ○ォーラム的な実験フィルムを
作ってみました、というマニアックな報告でした。
約一ヶ月が経った。
山と湖に挟まれた田舎暮らしは
想像していたものよりずっと楽しく、
日々の暮らしにエネルギーを注ぎすぎてしまうのか、
中々ブログを書こうという気になれない。
でもあんまり放置しているのも、
なんだかなあという事で、
近況報告してみます。
生活のリズムが出来てきた事。
朝は7時から8時位に目覚める。
まだ涼しいうちに畑をいじる。
というか、開墾する。
元々畑だった土地を、東京オリンピックの年に
造成したらしい。
だがこの町は土地のオーナーが予想したようには
発展せず、長年放置されていた土地は今再び、
我々の手で畑に戻されているというわけ。
造成地なのででかい石がごろごろ入っていて、
ふかふかの畑にするには相当な根気が必要なのだけど、
物事を一から始めるというのは楽しいものだ。
今はだいたい、六畳ぶんほどが畑になっただろうか。
畑については書きたい事が山のようにあるので、
これは追々書いていこうと思う。
朝食を食べて、だいたい午前中は
映像編集にあてる。
作業の合間に、こまめに目を休めるため、
窓越しに遠くの山を見やる。
緑が段々と深くなってきている。
こんな場所で編集した映像を、
瞬時に東京のクライアントに確認してもらえる
のだから、インターネットの発展には
本当に助けられているというか、
いまだに驚きに近い感情を持つ事しばしば。
昼食を食べてしばし休息。
余裕のある時は、
午後の時間をさまざまな事に使う。
登山道までは歩いて10分以内。
さすがに午後から山頂を目指して登る事は少ないが、
ちょっとした素材や山菜を探したり、
辿ったことのないルートを開拓したり、
あるいは湖のほうへぷらりと行ったり。
相模湖畔のレジャー施設は、
射的や足こぎボートなど、
昭和の隆盛期のラインナップそのままで、
いつ行っても閑散としている。
なんとも言えない味がある場所です。
この間、目の前に突然魚が降ってきた。
トンビが獲物を落としたらしい。
動物って、ぱっと見た所、計算されつくした
動きをしているように見えるけど、
案外まぬけだったりする。
猫が塀に飛び上がろうとして上がれなかったりね。
その魚はトンビには降りづらい場所に
落ちてしまったようで、
上空をぐるぐると回りながらも、
一向に拾いに来る気配がない。
トンビは小回りがあまり利かないようだ。
広い場所に魚を動かしてやってしばらく眺めていたら、
音もなくまっすぐに降りてきて、
見事に魚をつかんで飛び去っていった。
ああいう動きを見ると、
とても魚を落としたりしなさそうなんだけどなあ。
そんなトンビは、時々カラスにいじめられている。
トンビの方が大きくて強そうに見えるのだが、
口ばしが大きく小回りも利くカラスの方が、
空中戦は得意なのかもしれない。
トンビは一旦飛び立つと、
あまりはばたく事はせずに風にのって
滑るように飛ぶのだが、
カラスはそんなトンビを上から下からつっつく。
トンビはピーヒョロいいながら逃げる。
時々後ろを取ったりもするけれど。
そんなカラスは、オナガにいじめられている。
向かいの家の庭木に、オナガが巣を作ったと見えて、
畑をパトロール中のカラスが木に近づくと、
ゲーゲー鳴いて頭上に急降下攻撃を繰り返すのだ。
これまた、オナガの方がずっと体が小さいのに。
この場合は、カラスは最初うるさそうにしながらも、
畑のえさを探して粘るのだが、
さすがに何度もやられるとうんざりするのか、
その内に飛び去っていく。
こういう風景を見るのは、
なぜかしら愉快な所がある。
ハブ対マングースの見世物とか、
ああいうのはすごく悪趣味だと思うのだけど、
やはり動物同士が戦っているのをみると
どこかしら興奮するものがあるんだなあ。
本能、というやつでしょうか。
動物の事になったらずいぶん話が逸れてしまった。
動物については書きたい事が
たくさんあるのだと実感。
毎日発見の連続だからだろうな。
これもまた日を改めて書こう。
夕方、涼しくなると再び畑仕事をやりだす。
石だらけの土地に雑草がしっかり根を張っているので、
スコップで掘り起こすのも重労働だ。
しょっちゅう、カツーンという音が響く。
大抵くたくたになるまで体を使ってから、
家の中へ入る。
この作業のおかげで腹も減るし、
夜もぐっすり眠れるのだと思うとありがたい。
何より充実感がある。
現金収入になるものではないけれど、
実ったものを収穫して食べる日が楽しみだ。
夕食を作って食べて、フロに入って、
大体11時ごろには眠りにつく。
毎食自炊というのもあるけれど、
生活のための労働にかなりの時間を割いている。
そういう事の全てが、
心身の健康に結びついているような気がする。
まあとにかく、元気になってきました。
この場所から、また新たな作品を
生み出せるのでしょうか。
30日には、家具職人さんの自宅兼アトリエの
新築記念パーティーに、
三十日鳥さんと一緒に出演します。
今回も音担当。
会場は釘を使わない昔ながらの組木で出来た家。
すごく気持ちのいい場所です。
詳細はコチラ
そうそう、三十日鳥で思い出したけれども、
前回アップしたエイシャキという作品、
全体的にヒキでの撮影なんで、
僕の作った8mm映像なんてほとんど
見えないんですけど、
せっかくなんで付記しておくと、
青いノイズのような映像は現像済みの8mmフィルムを
コインで削ったもので、
最後の水玉は削りまくって透明になった
フィルムに、歯ブラシで蛍光インクを
飛ばしまくった人力アニメーションでした。
普通に撮影した映像が光量不足で、
照明代わりには到底なれなかったので、
苦し紛れに発明したアイデアです。
イメージ○ォーラム的な実験フィルムを
作ってみました、というマニアックな報告でした。
コーディング始めました
ひょんな事から父親の経営する
珠算塾のサイトを作る事になった。
コーディングという分野は今まで避けて
通ってきた感があるから、
身に着けてしまうにはちょうどいい機会だと
思ったのである。
そういうわけで仕事の合間を見て、
異世界の言語に取り組んでいるわけであるが、
これが恐ろしく疲れる。
映像の撮影、編集という分野は
自分が10年来付き合ってきたものだから、
作業時間がいくら長くても
集中している限りは乗り切れるのだが、
(無論、肉体的にはすごく疲れるけれども)
こういう慣れない分野を一から学ぶっていうのは、
ごく簡単な事が全然できなかったりして、
精神的にだいぶ疲弊するのだ。
使い方のさっぱりわからないアプリケーションで
作業するのと非常に似ている。
ここで投げ出したくなる気持ちをなだめて、
なんとか解り始めてしまえば、
のど元過ぎればなんとやらで
逆に面白くなってきたりもするんだろうけど。
掛け算九九の暗記という段階で
算数が嫌いになってしまったら、
数学の面白さまでたどり着けないもんなあ。
モチベーションを奮い起こして
がんばるのである。
だってコーディングができるようになれば、
映像の仕事なんてほとんどない南の島に
移住したとしても、
どうにか食っていけるであろうから。
ぐふふ。
珠算塾のサイトを作る事になった。
コーディングという分野は今まで避けて
通ってきた感があるから、
身に着けてしまうにはちょうどいい機会だと
思ったのである。
そういうわけで仕事の合間を見て、
異世界の言語に取り組んでいるわけであるが、
これが恐ろしく疲れる。
映像の撮影、編集という分野は
自分が10年来付き合ってきたものだから、
作業時間がいくら長くても
集中している限りは乗り切れるのだが、
(無論、肉体的にはすごく疲れるけれども)
こういう慣れない分野を一から学ぶっていうのは、
ごく簡単な事が全然できなかったりして、
精神的にだいぶ疲弊するのだ。
使い方のさっぱりわからないアプリケーションで
作業するのと非常に似ている。
ここで投げ出したくなる気持ちをなだめて、
なんとか解り始めてしまえば、
のど元過ぎればなんとやらで
逆に面白くなってきたりもするんだろうけど。
掛け算九九の暗記という段階で
算数が嫌いになってしまったら、
数学の面白さまでたどり着けないもんなあ。
モチベーションを奮い起こして
がんばるのである。
だってコーディングができるようになれば、
映像の仕事なんてほとんどない南の島に
移住したとしても、
どうにか食っていけるであろうから。
ぐふふ。
砂絵
久しぶりにYouTubeでおおっと思った
動画があったので貼付けます。
ウクライナのアーティストでKseniya Simonovaさん。
Wikipediaによれば2008年の経済危機で事業が破綻し、
それから1年足らずの修行でこの技術を身につけ、
2009年、ウクライナのTV番組に初出演、見事優勝し
賞金約125,000米ドルを獲得した、との事です。
とても1年で身につけたとは思えない早業。
迷いのない線のひきかた。
きっと、子供のころから、
こういう遊びに夢中だったのではないか、
保存、記録されるための絵ではなく、
今この瞬間に創造する喜び、それだけのための、
刹那的な絵画。
まあ題材や衣裳、パフォーマンスの見せ方など
かなりうまい人なので、
自分で事業やってたって言うし、
そんなビジネス的才覚で持って
賞金獲得を目指し技術習得に励んだのかもしれないけど、
あんまりそうは思いたくないなあ。
それにしても観客の涙に対し、
ゲストの涙はなんと嘘くさい事だろう。
動画があったので貼付けます。
ウクライナのアーティストでKseniya Simonovaさん。
Wikipediaによれば2008年の経済危機で事業が破綻し、
それから1年足らずの修行でこの技術を身につけ、
2009年、ウクライナのTV番組に初出演、見事優勝し
賞金約125,000米ドルを獲得した、との事です。
とても1年で身につけたとは思えない早業。
迷いのない線のひきかた。
きっと、子供のころから、
こういう遊びに夢中だったのではないか、
保存、記録されるための絵ではなく、
今この瞬間に創造する喜び、それだけのための、
刹那的な絵画。
まあ題材や衣裳、パフォーマンスの見せ方など
かなりうまい人なので、
自分で事業やってたって言うし、
そんなビジネス的才覚で持って
賞金獲得を目指し技術習得に励んだのかもしれないけど、
あんまりそうは思いたくないなあ。
それにしても観客の涙に対し、
ゲストの涙はなんと嘘くさい事だろう。
認められる事
ようやく春らしくなった。
いくつか同時進行していた仕事が一段落して、
珍しく早めの時間に目が覚めた。
何に時間を使おうかと考えて過ごせる午前中というのは
とてもすばらしいと思う。
みそ汁の大根を余熱で煮ながら、
その時間で少し書いてみようと思った。
今日は新しい家を下見に行く予定。
また引っ越すのだ。
引っ越しの妖精が憑いてるんじゃないかと思うほどの
引っ越しの頻度なのだが、
これでしばらくは落ち着くと思う。
たぶん東京の西の方、自然に近くて、
都心にも出られる距離の所になるだろう。
今日は久しぶりに胸の内が疼いた。
同年代の友人がメディアに評価されている記事を見つけて、
ありていに言えば嫉妬心と焦燥心が顔をのぞかせたのだ。
最近はだいぶ暮らしが落ち着き、
仕事もいいペースでこなせるようになってきたから、
経済的にも安定してきて、
憂鬱な気分に飲み込まれて動けないような事は
ほとんどなくなったと言っていい。
反面、作るという事への渇望を感じる事も少なくなっていた。
新しい映画のアイデアを書きためるノートは、
去年1年で一冊半ほど進んだのだけど、
この何ヶ月かほとんど開いていない。
ギターも弾くには弾くけれど、
夢中になって時間を忘れるような弾き方ではない。
飢えと想像力のバランスというものがあるのだろうか。
地元から東京に出てきた頃は、
自分の未熟さなどほとんど知らず、
恐れを知らぬが故に創る事は容易かった気がする。
もちろんクオリティの至らないものが
ほとんどであったかもしれない。
それでも、すごい瞬発力だったなあと、
今振り返ってみて思うのだ。
思いつくのも早かったし、
実行に移すのも早かった。
認められたくて仕方がなかったんだと思う。
認められたいという気持ちに
恥ずかしさを感じるようになった事、
それは幸か不幸か。
こういう思考を始めたときに、
頭をよぎる二つの作品がある。
正確に言えばその中の一節。
一つは中島敦の『山月記』。
終盤、虎に身を落とした主人公の李徴は、
旧友に自分の心情を吐露しこう語る。
「己(おのれ)の珠(たま)に非(あら)ざることを惧(おそ)れるが故(ゆえ)に、敢(あえ)て刻苦して磨(みが)こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々(ろくろく)として瓦(かわら)に伍することも出来なかった。」
もう一つは、サリンジャーのフラニーとゾーイーから。
これは手元に本もないので記憶に頼るんだけど、
母親がゾーイーに向かってこんな内容の事を言う。
「知性だ感性だとか、そんなものを磨きに磨いてナイフみたいに鋭くなったって、それで幸せになれなかったら何の意味があるんだい?」
この2作品に自分の心情を重ねる事自体がすでに
傲慢な気もするけれども、、、(2作品の主人公、
李徴とゾーイーとは共にとんでもない天才である)
生活と創造とがつながっていけるような道を模索している。
まずは、東京にいる間にバンドをもっとやっておきたくて、
今mixiに音源をアップしてメンバーを募集している。
何人か連絡をくれた人があったので、
近いうちにスタジオに入ってみるつもりだ。
朝飯の支度の途中で長々と書いてしまったので、
もう頭がまわりません。
朝ご飯は大事ですよ、みなさん。
いくつか同時進行していた仕事が一段落して、
珍しく早めの時間に目が覚めた。
何に時間を使おうかと考えて過ごせる午前中というのは
とてもすばらしいと思う。
みそ汁の大根を余熱で煮ながら、
その時間で少し書いてみようと思った。
今日は新しい家を下見に行く予定。
また引っ越すのだ。
引っ越しの妖精が憑いてるんじゃないかと思うほどの
引っ越しの頻度なのだが、
これでしばらくは落ち着くと思う。
たぶん東京の西の方、自然に近くて、
都心にも出られる距離の所になるだろう。
今日は久しぶりに胸の内が疼いた。
同年代の友人がメディアに評価されている記事を見つけて、
ありていに言えば嫉妬心と焦燥心が顔をのぞかせたのだ。
最近はだいぶ暮らしが落ち着き、
仕事もいいペースでこなせるようになってきたから、
経済的にも安定してきて、
憂鬱な気分に飲み込まれて動けないような事は
ほとんどなくなったと言っていい。
反面、作るという事への渇望を感じる事も少なくなっていた。
新しい映画のアイデアを書きためるノートは、
去年1年で一冊半ほど進んだのだけど、
この何ヶ月かほとんど開いていない。
ギターも弾くには弾くけれど、
夢中になって時間を忘れるような弾き方ではない。
飢えと想像力のバランスというものがあるのだろうか。
地元から東京に出てきた頃は、
自分の未熟さなどほとんど知らず、
恐れを知らぬが故に創る事は容易かった気がする。
もちろんクオリティの至らないものが
ほとんどであったかもしれない。
それでも、すごい瞬発力だったなあと、
今振り返ってみて思うのだ。
思いつくのも早かったし、
実行に移すのも早かった。
認められたくて仕方がなかったんだと思う。
認められたいという気持ちに
恥ずかしさを感じるようになった事、
それは幸か不幸か。
こういう思考を始めたときに、
頭をよぎる二つの作品がある。
正確に言えばその中の一節。
一つは中島敦の『山月記』。
終盤、虎に身を落とした主人公の李徴は、
旧友に自分の心情を吐露しこう語る。
「己(おのれ)の珠(たま)に非(あら)ざることを惧(おそ)れるが故(ゆえ)に、敢(あえ)て刻苦して磨(みが)こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々(ろくろく)として瓦(かわら)に伍することも出来なかった。」
もう一つは、サリンジャーのフラニーとゾーイーから。
これは手元に本もないので記憶に頼るんだけど、
母親がゾーイーに向かってこんな内容の事を言う。
「知性だ感性だとか、そんなものを磨きに磨いてナイフみたいに鋭くなったって、それで幸せになれなかったら何の意味があるんだい?」
この2作品に自分の心情を重ねる事自体がすでに
傲慢な気もするけれども、、、(2作品の主人公、
李徴とゾーイーとは共にとんでもない天才である)
生活と創造とがつながっていけるような道を模索している。
まずは、東京にいる間にバンドをもっとやっておきたくて、
今mixiに音源をアップしてメンバーを募集している。
何人か連絡をくれた人があったので、
近いうちにスタジオに入ってみるつもりだ。
朝飯の支度の途中で長々と書いてしまったので、
もう頭がまわりません。
朝ご飯は大事ですよ、みなさん。
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