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SunSugarSonBlog Page 3
夢に関する省察
少し、思うままに書いてみたいので、キーボードに向かう。
最近は、こういう場で何を書くか、事前に練るような事はなるべく
せずに、できる限り即興的に書きたいと思っている。
今自分の中にどういう思いがあって、
それがどのような形で出てくるのか、
書く前はわからなかった事が、書く事でわかったような気がする。
そういう変化を楽しみたいと思う。
でもそれは、楽しむというより、もっと根源的な、
必要に迫られてやっている事のような気もする。
さて、主題になりそうな事柄もとりあえず思いつかないので、
まずは近況報告から。
練馬区の体験農園が今月から使える事になり、
最初の2週間ばかりは石灰や堆肥をいれたり、耕したり、
ひたすら土を肥やしていたんだけれども、
このあいだの週末に初めて何種類かの種を植えた。
ミニごぼう、にんじん、サラダキャベツ、じゃがいも、カブ、
それに園芸店から買ってきたハーブの苗を何種類か。
天気予報を観ながら雨が降るのを待って植えたつもりだったのだけど、
その夜は嘘みたいな春の嵐が吹き荒れて、
植え付けたばかりの小さな命を根こそぎもっていかれはしまいかと、
さんざん不安な気持ちで朝を迎えました。
起きてさっそく畑に向かってみると、
種は風に飛ばされたんだかどうだか、これはわからないんですけど、
ミントの苗がビニールロープでぐるぐる巻きにされていました。
けっこうな数の人たちが、自分の畑と隣との境を明示するために
畑の四隅をビニールロープで囲んでいるのですが、
その余りがたるんでいたのでしょうか、昨夜の恐ろしい強風で
四方八方に暴れた結果、手近にあったうちのミントの苗に巻き付き、
それはまるで意志をもっていたかのように
いくつもの結び目まで作って、か弱い苗を縛りあげていました。
その姿があまりに痛々しくて、ああ、これはやっぱり
命を育てているのだな、という感慨を新たに持ちました。
実際に畑を始める前は、
自分の畑で作るのとスーパーで買うのと、
どっちが安いかあるいはおいしいかとか、
そういう量や質の概念で単純比較をやっていたんですけど、
実際何かを育てるっていうのはそういうものを飛び越えて、
何か心に大きく作用するものだぞ、という予感を
今は強く持っています。
とはいえ、まだ育てるなんて事を云々するほど
畑に馴染んだわけではないので、
あまり語ると薄っぺらくなってしまいますね。
薄っぺらくともことさら大げさに
語ってしまう癖が自分にはあるのです。
最近、夢の世界がやけに活気づいている。
もともと僕の夢は冒険をしたり特殊な能力を持っていたり、
いわゆる少年漫画的な色合いが強くて、
物語のアイデアを持ち帰ってくる事が多いのだけど、
最近はその傾向に拍車がかかっている。
また、歌を持ち帰る夢も増えている。
持ち帰るっていう言い方は比喩ではなくて、
実際に夢の中である程度意識が働いていて、
あ、これは映画のネタになるな、とか、
このメロディは目が覚めるまで忘れないように
繰り返し歌っていよう、とか、
そういう具合にして起きる瞬間までイメージを保持するのである。
そして、枕元においてあるネタ帳に書き付けるか、
メロディなら携帯電話の録音機能で吹き込むといった具合だ。
個々のアイデアとしてはとても面白い設定が多いけれど、
それらを一つの物語に紡ぎあげる作業は大変だ。
いつだって意識が無意識に劣等感を抱いてしまう。
その点、メロディの方は比較的そのまま使えるから嬉しい。
特に夢から持ち帰った歌詞のある歌っていうのは、すごく興味深い。
覚めた意識では選ばないような言葉使いであったり、
あけすけな気持ちであったり、
知らないつもりの外国の言葉が歌詞に入っていて、
起きてから意味を調べると歌の内容にぴたりとはまっていたり、
それがメロディと同時に生まれてくるから、本当に不思議だ。
といっても一曲丸ごと持ち帰るのではなく、
大抵は印象的なサビだったり、歌いだしの何フレーズだけだったり
するので、それを一つの曲に仕立てるにはやっぱり
物語と同じように、覚めた状態で紡いでいかなくては
いけないのだけれど。
こうした行為は、無意識という宝物庫に忍び込むコソ泥のような
感じがしないでもないし、夢の本来の機能
(それは所詮、推量でしか語れないものではあるけれど)
を阻害しているような気もするけど、
とにかく、自分にとってすごく興味深いものであり、自分はそれを
持ち帰らずにはいられないのだ。
でもこれって、成功や名誉に対する欲求が、自分の本来の能力を
押し殺しているのかもしれなくて、つまり、
そうしたイメージを持ち帰ろうという意識を持たなければ、
そうした物語やメロディは夢の中でさらにさらに発展していって、
起きたときにはさっぱり忘れているとしても、
その夢の中では貴重な体験ができるのかもしれない。
考えてみれば、こうした葛藤は自分にとって、
撮るという行為に根ざした逃れがたい
イメージであった事を思い出す。
自分の文章にリンクを貼るのも少し気が引けるが、
かつて見たこんな夢(2006.10.13の文章)に象徴的に語られているテーマだ。
夢はやはり鋭い。
五十嵐大介の漫画に、
決してそこにあるものを持ち帰ってはならないという条件つきで、
この世のものとは思えない美しい島を訪れた少女が、
ついその誓いを忘れて、貝殻だったか、
ごくささいなものをその島から持ち出してしまい、
やがて超自然的な力によって罰せられる、という物語があった。
こうしたモチーフは、世界各地の神話や民話に
埋もれているのではないだろうか。
それは完全な推量なのだけど、
どうもそういう気がしてならない。
それは言ってみれば人間の意識と無意識の関係における、
ある種の元型であり得る気がする。
かつて、ある歳から自分が死ぬまでに見た夢の全てを
記録に残した坊さんがいたらしい。
室町時代だったかな、名前は今軽く調べても見つからなかったの
だけど、後世の人にとって、そうした歴史のかなたの時代における、
個人の無意識にアクセスできる資料が残された事は
たぶんかなり有意義な事なのだろうと思うけど、
本人にとって、それは、どういう意味を持っていたのだろう。
意識や感情のアルバムとして、たびたび振り返る事で
その追体験を楽しみながら、新たな発見をしたり、
自己に対する深い洞察を得たりしていたのだろうか。
自分もやってみたいと思う気持ちが強いけれど、
一方でかいま見た無意識の全てを紙の上に確定してしまうと
いうのは、なんだか空恐ろしい気もする。
やはり人に見せたくはない、それゆえに夢の中でことさら
強調されるような自分の持つ要素を、
紙に書く事で人に見られ得るというのが恐ろしいし、
自分で直視する事になるのも、躊躇する所だ。
これはある友人が語っていた言葉なんだけれど、
やはり、無意識に触れるときには、優しく、
優しく触れるべきなんだと思う。
最近は、こういう場で何を書くか、事前に練るような事はなるべく
せずに、できる限り即興的に書きたいと思っている。
今自分の中にどういう思いがあって、
それがどのような形で出てくるのか、
書く前はわからなかった事が、書く事でわかったような気がする。
そういう変化を楽しみたいと思う。
でもそれは、楽しむというより、もっと根源的な、
必要に迫られてやっている事のような気もする。
さて、主題になりそうな事柄もとりあえず思いつかないので、
まずは近況報告から。
練馬区の体験農園が今月から使える事になり、
最初の2週間ばかりは石灰や堆肥をいれたり、耕したり、
ひたすら土を肥やしていたんだけれども、
このあいだの週末に初めて何種類かの種を植えた。
ミニごぼう、にんじん、サラダキャベツ、じゃがいも、カブ、
それに園芸店から買ってきたハーブの苗を何種類か。
天気予報を観ながら雨が降るのを待って植えたつもりだったのだけど、
その夜は嘘みたいな春の嵐が吹き荒れて、
植え付けたばかりの小さな命を根こそぎもっていかれはしまいかと、
さんざん不安な気持ちで朝を迎えました。
起きてさっそく畑に向かってみると、
種は風に飛ばされたんだかどうだか、これはわからないんですけど、
ミントの苗がビニールロープでぐるぐる巻きにされていました。
けっこうな数の人たちが、自分の畑と隣との境を明示するために
畑の四隅をビニールロープで囲んでいるのですが、
その余りがたるんでいたのでしょうか、昨夜の恐ろしい強風で
四方八方に暴れた結果、手近にあったうちのミントの苗に巻き付き、
それはまるで意志をもっていたかのように
いくつもの結び目まで作って、か弱い苗を縛りあげていました。
その姿があまりに痛々しくて、ああ、これはやっぱり
命を育てているのだな、という感慨を新たに持ちました。
実際に畑を始める前は、
自分の畑で作るのとスーパーで買うのと、
どっちが安いかあるいはおいしいかとか、
そういう量や質の概念で単純比較をやっていたんですけど、
実際何かを育てるっていうのはそういうものを飛び越えて、
何か心に大きく作用するものだぞ、という予感を
今は強く持っています。
とはいえ、まだ育てるなんて事を云々するほど
畑に馴染んだわけではないので、
あまり語ると薄っぺらくなってしまいますね。
薄っぺらくともことさら大げさに
語ってしまう癖が自分にはあるのです。
最近、夢の世界がやけに活気づいている。
もともと僕の夢は冒険をしたり特殊な能力を持っていたり、
いわゆる少年漫画的な色合いが強くて、
物語のアイデアを持ち帰ってくる事が多いのだけど、
最近はその傾向に拍車がかかっている。
また、歌を持ち帰る夢も増えている。
持ち帰るっていう言い方は比喩ではなくて、
実際に夢の中である程度意識が働いていて、
あ、これは映画のネタになるな、とか、
このメロディは目が覚めるまで忘れないように
繰り返し歌っていよう、とか、
そういう具合にして起きる瞬間までイメージを保持するのである。
そして、枕元においてあるネタ帳に書き付けるか、
メロディなら携帯電話の録音機能で吹き込むといった具合だ。
個々のアイデアとしてはとても面白い設定が多いけれど、
それらを一つの物語に紡ぎあげる作業は大変だ。
いつだって意識が無意識に劣等感を抱いてしまう。
その点、メロディの方は比較的そのまま使えるから嬉しい。
特に夢から持ち帰った歌詞のある歌っていうのは、すごく興味深い。
覚めた意識では選ばないような言葉使いであったり、
あけすけな気持ちであったり、
知らないつもりの外国の言葉が歌詞に入っていて、
起きてから意味を調べると歌の内容にぴたりとはまっていたり、
それがメロディと同時に生まれてくるから、本当に不思議だ。
といっても一曲丸ごと持ち帰るのではなく、
大抵は印象的なサビだったり、歌いだしの何フレーズだけだったり
するので、それを一つの曲に仕立てるにはやっぱり
物語と同じように、覚めた状態で紡いでいかなくては
いけないのだけれど。
こうした行為は、無意識という宝物庫に忍び込むコソ泥のような
感じがしないでもないし、夢の本来の機能
(それは所詮、推量でしか語れないものではあるけれど)
を阻害しているような気もするけど、
とにかく、自分にとってすごく興味深いものであり、自分はそれを
持ち帰らずにはいられないのだ。
でもこれって、成功や名誉に対する欲求が、自分の本来の能力を
押し殺しているのかもしれなくて、つまり、
そうしたイメージを持ち帰ろうという意識を持たなければ、
そうした物語やメロディは夢の中でさらにさらに発展していって、
起きたときにはさっぱり忘れているとしても、
その夢の中では貴重な体験ができるのかもしれない。
考えてみれば、こうした葛藤は自分にとって、
撮るという行為に根ざした逃れがたい
イメージであった事を思い出す。
自分の文章にリンクを貼るのも少し気が引けるが、
かつて見たこんな夢(2006.10.13の文章)に象徴的に語られているテーマだ。
夢はやはり鋭い。
五十嵐大介の漫画に、
決してそこにあるものを持ち帰ってはならないという条件つきで、
この世のものとは思えない美しい島を訪れた少女が、
ついその誓いを忘れて、貝殻だったか、
ごくささいなものをその島から持ち出してしまい、
やがて超自然的な力によって罰せられる、という物語があった。
こうしたモチーフは、世界各地の神話や民話に
埋もれているのではないだろうか。
それは完全な推量なのだけど、
どうもそういう気がしてならない。
それは言ってみれば人間の意識と無意識の関係における、
ある種の元型であり得る気がする。
かつて、ある歳から自分が死ぬまでに見た夢の全てを
記録に残した坊さんがいたらしい。
室町時代だったかな、名前は今軽く調べても見つからなかったの
だけど、後世の人にとって、そうした歴史のかなたの時代における、
個人の無意識にアクセスできる資料が残された事は
たぶんかなり有意義な事なのだろうと思うけど、
本人にとって、それは、どういう意味を持っていたのだろう。
意識や感情のアルバムとして、たびたび振り返る事で
その追体験を楽しみながら、新たな発見をしたり、
自己に対する深い洞察を得たりしていたのだろうか。
自分もやってみたいと思う気持ちが強いけれど、
一方でかいま見た無意識の全てを紙の上に確定してしまうと
いうのは、なんだか空恐ろしい気もする。
やはり人に見せたくはない、それゆえに夢の中でことさら
強調されるような自分の持つ要素を、
紙に書く事で人に見られ得るというのが恐ろしいし、
自分で直視する事になるのも、躊躇する所だ。
これはある友人が語っていた言葉なんだけれど、
やはり、無意識に触れるときには、優しく、
優しく触れるべきなんだと思う。
LASD Tokyo 終了
昨日で三日間に渡った六本木でのイベントが終了しました。
今回は糸電話で歌とギターを離れたお客さんの耳元に届け、
そこから遠めがねで少し離れた所のダンスを見てもらう、
といった感じのパフォーマンスをやらせてもらいました。
初日は準備不足がもろに祟って、システムとしては面白いけども
それを使って見せる内容がまるで無い、
といった状態に陥ってしまい、
予想外に多かった(というよりほとんどだった)
外国のお客さんたちの困ったような表情を見ながら、
早く帰りたいと思う気持ちばかり募るという悲劇に終わりました。
それに懲りて二日目からはかなり内容をアレンジ、
ギターだけだった糸電話にボーカルを乗せ、
浴衣の着付けの所作を見せながら『おぼろ月夜』をつま弾き、
さらに自分の衣裳は作務衣であるという、
反則スレスレのオリエンタリズムで勝負、
異人さん達のハートをがっちり掴みました。
日本人のお客さんたちもけっこう気に入ってくれたので、
こういうのもありなんだなと、結果オーライです。
まあ自分の場合作務衣は普段着だし、
おぼろ月夜は大好きな曲だし、
越前谷さんの浴衣の所作もすごくさりげないものなので、
あんまり外人さんにこびた感じには映らなかったのかもしれない。
こびが全くなかったかと自問自答すれば、
そうとは言い切れない部分もあるけれど、
今はなるべく肩の力を抜きながら作りたいと思っているので、
これでいいと思う。
ともかく面白い体験でした。
しばらくはイベント出演の予定もないので、
地道に生活していこうと思います。
練馬区の体験農園を今月から使える事になったので、
伊豆でできなかった土いじりを東京で始められる、
それがとても楽しみです。
今回は糸電話で歌とギターを離れたお客さんの耳元に届け、
そこから遠めがねで少し離れた所のダンスを見てもらう、
といった感じのパフォーマンスをやらせてもらいました。
初日は準備不足がもろに祟って、システムとしては面白いけども
それを使って見せる内容がまるで無い、
といった状態に陥ってしまい、
予想外に多かった(というよりほとんどだった)
外国のお客さんたちの困ったような表情を見ながら、
早く帰りたいと思う気持ちばかり募るという悲劇に終わりました。
それに懲りて二日目からはかなり内容をアレンジ、
ギターだけだった糸電話にボーカルを乗せ、
浴衣の着付けの所作を見せながら『おぼろ月夜』をつま弾き、
さらに自分の衣裳は作務衣であるという、
反則スレスレのオリエンタリズムで勝負、
異人さん達のハートをがっちり掴みました。
日本人のお客さんたちもけっこう気に入ってくれたので、
こういうのもありなんだなと、結果オーライです。
まあ自分の場合作務衣は普段着だし、
おぼろ月夜は大好きな曲だし、
越前谷さんの浴衣の所作もすごくさりげないものなので、
あんまり外人さんにこびた感じには映らなかったのかもしれない。
こびが全くなかったかと自問自答すれば、
そうとは言い切れない部分もあるけれど、
今はなるべく肩の力を抜きながら作りたいと思っているので、
これでいいと思う。
ともかく面白い体験でした。
しばらくはイベント出演の予定もないので、
地道に生活していこうと思います。
練馬区の体験農園を今月から使える事になったので、
伊豆でできなかった土いじりを東京で始められる、
それがとても楽しみです。
Speed Date !
公演終わりました。
ドタバタだったけれども、
わりとお客さんには喜んでもらえたようです。
平日だった最終回をのぞき
連日満員で大入り、ありがたい事です。
大した枚数を刷っていないとはいえ、
サントラCDも完売致しました。
前回透明CDケースにステンシルで
一枚一枚手作りのジャケットを作ったのに比べ、
今回は突貫工事のコンビニ白黒コピージャケだったのですが、
それでもこれだけ買ってもらえた事にありがたいやら何やら、
少し自信を持たせてもらえました。
ほんとにありがとうございます。
そしてほっと一息つく間もなく、
次のイベントが決まりました。
3月1日から六本木のsuper deluxeで開催される
Live Art Speed Dateに越前谷さんと出演します。
話をもらった時点で一週間と少ししか
残されていないという脅威のスケジュール。
15組(くらいだったかな?)のアーティストが、
4分間の間に観客とマンツーマンの
プライベートな空間を演出するというコンセプトで、
色々面白い事を考えてくるみたいです。
自分にもまだおぼろげにしか解ってないし、
主催者のSTKってロンドンのアーティストさんが
何者なのかもよく知らないまま、
とりあえず距離を縮めるパフォーマンスをやろうと、
それだけ決まった所で残りあと5日。
その間に伊豆からの引っ越しも完了させねばならず。
なんだか逆にハイになりそう。
ドタバタだったけれども、
わりとお客さんには喜んでもらえたようです。
平日だった最終回をのぞき
連日満員で大入り、ありがたい事です。
大した枚数を刷っていないとはいえ、
サントラCDも完売致しました。
前回透明CDケースにステンシルで
一枚一枚手作りのジャケットを作ったのに比べ、
今回は突貫工事のコンビニ白黒コピージャケだったのですが、
それでもこれだけ買ってもらえた事にありがたいやら何やら、
少し自信を持たせてもらえました。
ほんとにありがとうございます。
そしてほっと一息つく間もなく、
次のイベントが決まりました。
3月1日から六本木のsuper deluxeで開催される
Live Art Speed Dateに越前谷さんと出演します。
話をもらった時点で一週間と少ししか
残されていないという脅威のスケジュール。
15組(くらいだったかな?)のアーティストが、
4分間の間に観客とマンツーマンの
プライベートな空間を演出するというコンセプトで、
色々面白い事を考えてくるみたいです。
自分にもまだおぼろげにしか解ってないし、
主催者のSTKってロンドンのアーティストさんが
何者なのかもよく知らないまま、
とりあえず距離を縮めるパフォーマンスをやろうと、
それだけ決まった所で残りあと5日。
その間に伊豆からの引っ越しも完了させねばならず。
なんだか逆にハイになりそう。
出戻り、再出発
今日は久しぶりの雨が降っています。
なんだか雪になる可能性もあるとか。
同じ水なのに、雪になって降ってくれれば
不思議と心が躍るので、少し期待しています。
最近めっきり近況を書いていませんでしたが、
伊豆の古民家を見つけて引っ越したはいいものの、
手短に言えば村から追い出される形となり、
現在は東京に戻ってきています。
複雑に入り組んだ事情があり、
かなりプライベートな事なので説明に困る所ですが、
山奥の小さな部落というのは想像以上に
保守的で閉鎖的であり、
僕の連れて行った同居人というのは
既成の価値観や道徳観を全てひっくり返そうという
極めてラディカルな人物だったために、
村人の間に勘違いと疑心暗鬼が広まってしまった、
といった感じでしょうか。
自分はどんな場所に行っても、
そこに住む人たちと協調してうまくやっていけるという
自信が僕の中に強くあったために、
この一連のやり取り、騒動は
少なからぬショックを与えるものでした。
反面、自分の身に降り掛かる
一見不条理な出来事や、理性が納得しがたい状況に対して、
それに抗う事なく受け入れるという、
ある意味での諦めを獲得したように感じます。
それは、そういった意識の持ち方を教えてくれた
禅老師自身との決別という出来事にも、
大きな手助けとなってくれました。
それはある意味で皮肉な事とも言えますが。
ともあれ今は、
少しずつ自分のペースを取り戻そうといった感じの日々です。
精神的、経済的、肉体的に調子を整えて、
本当に自分が作りたいものにエネルギーを集中できる環境を
作っていければと思っています。
まずはお知らせにも書いた通り、
2月20日から始まるミソヒドリの新作、
『遠くからの音』の音作り。
前回の公演が先月の24日に終わったばかりで
非常に限られた時間の中でやるわけですけども、
こういった文化祭前夜の徹夜作業みたいな雰囲気には、
何かしら得難い高揚感というものがあるので、
それがうまく作用すれば、と思っています。
しかし不思議なもので、
自分が撮影者として関わっていた頃は
作品の雰囲気を言葉に置き換える作業にも
対して抵抗や労力を感じなかったのですが、
音楽を作ったりその他いろいろやりながら
内側から関わってくると、
とたんに言葉にするのが難しくなるというか、
何だか気恥ずかしいような気分もしてくるのです。
そういうわけで作品内容についてまだ
うまく書く事はできませんが、
いずれ機会と力があれば書かせてもらおうかと思っています。
予約もだいぶ埋まってきているようなので、
興味を持ってくれた方はお早めにご予約を。
三十日鳥 official blog
なんだか雪になる可能性もあるとか。
同じ水なのに、雪になって降ってくれれば
不思議と心が躍るので、少し期待しています。
最近めっきり近況を書いていませんでしたが、
伊豆の古民家を見つけて引っ越したはいいものの、
手短に言えば村から追い出される形となり、
現在は東京に戻ってきています。
複雑に入り組んだ事情があり、
かなりプライベートな事なので説明に困る所ですが、
山奥の小さな部落というのは想像以上に
保守的で閉鎖的であり、
僕の連れて行った同居人というのは
既成の価値観や道徳観を全てひっくり返そうという
極めてラディカルな人物だったために、
村人の間に勘違いと疑心暗鬼が広まってしまった、
といった感じでしょうか。
自分はどんな場所に行っても、
そこに住む人たちと協調してうまくやっていけるという
自信が僕の中に強くあったために、
この一連のやり取り、騒動は
少なからぬショックを与えるものでした。
反面、自分の身に降り掛かる
一見不条理な出来事や、理性が納得しがたい状況に対して、
それに抗う事なく受け入れるという、
ある意味での諦めを獲得したように感じます。
それは、そういった意識の持ち方を教えてくれた
禅老師自身との決別という出来事にも、
大きな手助けとなってくれました。
それはある意味で皮肉な事とも言えますが。
ともあれ今は、
少しずつ自分のペースを取り戻そうといった感じの日々です。
精神的、経済的、肉体的に調子を整えて、
本当に自分が作りたいものにエネルギーを集中できる環境を
作っていければと思っています。
まずはお知らせにも書いた通り、
2月20日から始まるミソヒドリの新作、
『遠くからの音』の音作り。
前回の公演が先月の24日に終わったばかりで
非常に限られた時間の中でやるわけですけども、
こういった文化祭前夜の徹夜作業みたいな雰囲気には、
何かしら得難い高揚感というものがあるので、
それがうまく作用すれば、と思っています。
しかし不思議なもので、
自分が撮影者として関わっていた頃は
作品の雰囲気を言葉に置き換える作業にも
対して抵抗や労力を感じなかったのですが、
音楽を作ったりその他いろいろやりながら
内側から関わってくると、
とたんに言葉にするのが難しくなるというか、
何だか気恥ずかしいような気分もしてくるのです。
そういうわけで作品内容についてまだ
うまく書く事はできませんが、
いずれ機会と力があれば書かせてもらおうかと思っています。
予約もだいぶ埋まってきているようなので、
興味を持ってくれた方はお早めにご予約を。
三十日鳥 official blog
イタチノヘ 09
上下に高く広がった市街地の隙間を縫うようにして
トンボを飛ばす。
このあたりの建物はほとんどが巨大化した孟宗竹でできている。
トンボやハエなど、巨大化させた昆虫の運動神経をコントロールして
乗用とする事には、動物愛護団体からの抗議が今も絶えないが、
金属資源の極端にすくないこの世界では、利便性が倫理精神を
押さえ込んでいる形だ。
生殖能力と補食のための攻撃性を除去された、
巨大なクローン昆虫たち。
寿命も科学の進歩によって伸びているとはいえ、トンボの
乗用可能期限はおおむね一年といった所だ。
だが、四枚の翅を自在に動かし、ホバリングも可能で、
障害物や飛来物などに対し半自動的に回避行動を行うトンボは、
地表に汚染物質の体積するこの市街に最も適した乗り物だろう。
餌には食中(食品中央管理局)の製造する、動物性タンパクを
豊富に含んだキューブ状の飼料、通称「ピンク」が与えられるが、
あの巨大な大顎でピンクをガツガツとやっている様を見るのは、
いかにも現代科学のグロテスクな一面を
見せつけられている気がして、ぞっとする。
ごくまれにではあるが、年に数件、人身事故も起きているらしい。
つまり、飼い主であるはずの人間をトンボが誤って
食べてしまうというものだ。
およそ信じがたい話ではあるが、攻撃性が除去されているとはいえ、
生物の再生能力には恐ろしいものがある。
いつのまにか本来の攻撃性に関する神経回路を再生し、
不用心な人間に突然襲いかかるというケースも、考えてみれば
それほど突飛な話ではない気がしてくる。
そのような危険を知りつつも、我々は日々、トンボに
またがってこの街の空を飛んでいる。
そんな事に思いを巡らし、また不必要に憂鬱な気分がぶり返して
きた所で、目的の建物が見えてきた。
我々の所属するアスナ教の荒木町支部。
37階の止まり木にトンボを止めると、ふいに声をかけられた。
「おう、ツナグ」
バルコニーには知り合いのタケムラが丁度出てきた所だった。
「よう、調子どうだ」
「うん、まあまあだな。なかなか売り上げが出なくて
苦しいとこだけど。悪い噂でも流れてんのかな」
「悪い噂?」
「バザールで怪しげなモンを売りつけられたってさ、
被害者がわめいてんのかもしれんぜ」
「そんなの今に始まった事じゃないだろ。それより、何か
上に変な動きはないか」
「?どういう意味だ?」
「昨日、警察に挙げられた」
「!!あのシマに出入りはないはずだぜ」
「だから聞いてるんだ。何か事情が変わったのかも」
「。。。関係あるかどうかはわからないが」
「なんだ」
「組織は、ある女を捜し始めたらしい」
瞬間、私は心臓が凍り付く思いをした。
咄嗟に、心のカーテンを下ろす。
タケムラはテレパスとしての才能はたいして持っていない。
表面さえ取り繕えばこの動揺は隠せるはずだ。
「どんな女だ?」
「それが、顔写真すらないんだが、上が言うには、
『内側に住む女』なんだそうだ」
「。。。そうか、それはつまり、
ゲイの奴はカミングアウトしろってことだな」
私の苦し紛れのジョークに、タケムラは辛うじて笑ってくれた。
「これから仕事か?」
無意味な質問を投げてみる。
「いや、今日は家族サービスだ。嫁と息子を連れて買い物さ」
「家族持ちは大変だね。ほどほどにしろよ」
「わかってくれるね。ありがと。じゃあ、また」
「おう、また」
タケムラは自分のトンボの方へと歩いていった。
私には、建物の扉を開ける勇気がなかった。
こんな時にタバコでもあれば、この場所に突っ立っている
不自然さをごまかすことができるのだが、
あいにく法律で廃止されてもう数年になる。
仕方なしに私は、片方の靴を脱ぎ、振ってみて、
何か異物が出ないかと確かめる振りをした。
ついでに足の裏に刺が刺さっているジェスチャーも
付け加えてみた。
幸い、タケムラはそんな私の努力に見向きもしないで、
まっすぐに自分のトンボに向かい、飛び立ったようだ。
どっと疲れが押し寄せる。
だがここで気を抜くわけにはいかない。
建物の中はテレパスだらけだ。
強力なテレパスならば、私のカーテンなどあっさりと
通過して私の不安を感じ取ってしまうだろう。
私は可能な限り平静を保ちながら、
自分のトンボにまたがり、アクセルを踏んだ。
せっかく休めたばかりなのに、再び強制的に
空を飛ばされるトンボの不機嫌さが心に伝わってきたが、
今は一刻も早くこの場を逃れたかった。
今まで自分を守ってきた組織が、
自分の敵に回る可能性を考えると、
コンプレクソンを一箱飲んでも眠れないのではないかと
いう気がした。
不安と恐怖で頭が混濁したまま、
あてもなくトンボを飛ばした。
トンボの体力が限界に近い事に気づいた時、
あろうことかそこは食中の生産センター上空だった。
一般市民が生産センターに近づく事は許されない。
我々には、自分たちが食べる食物の生産工程を知る権利がない。
建物の周囲にはリビングセンサーが数体配置されている。
五感、いやおそらく六感の知覚を特殊な装置によって限りなく
鋭敏にされた生きたセンサー、所定の位置に座ったまま栄養と
(座ったまま享受できる)あらゆる娯楽とを供給され一生を過ごす、
新しい引きこもりの形態だ。
リビングセンサーの一人が私の意識に警告を飛ばしてきた。
「ここは飛行制限空域です。ただちに離脱して下さい」
私は大慌てでハンドルを切った。
数km離れた先にブロッコの建設予定空き地が見えた。
あそこまでこのトンボが保つだろうか。
滑空だけでもなんとか届きそうな距離ではある。
瞬時に方向を転換したから、
リビングセンサーには脅威と見なされていないはずだ、
そうである事を願う。
脅威と見なされれば、即座に迎撃用のハエが離陸し、
追跡、撃墜されるだろう。
リビングセンサーからの警告はその一度きりで、
私はどうにか草の生い茂った空き地に着陸する事ができた。
周囲には誰もいない。
ただ、いつのまにか眼前に女が一人立っていた。
トンボを飛ばす。
このあたりの建物はほとんどが巨大化した孟宗竹でできている。
トンボやハエなど、巨大化させた昆虫の運動神経をコントロールして
乗用とする事には、動物愛護団体からの抗議が今も絶えないが、
金属資源の極端にすくないこの世界では、利便性が倫理精神を
押さえ込んでいる形だ。
生殖能力と補食のための攻撃性を除去された、
巨大なクローン昆虫たち。
寿命も科学の進歩によって伸びているとはいえ、トンボの
乗用可能期限はおおむね一年といった所だ。
だが、四枚の翅を自在に動かし、ホバリングも可能で、
障害物や飛来物などに対し半自動的に回避行動を行うトンボは、
地表に汚染物質の体積するこの市街に最も適した乗り物だろう。
餌には食中(食品中央管理局)の製造する、動物性タンパクを
豊富に含んだキューブ状の飼料、通称「ピンク」が与えられるが、
あの巨大な大顎でピンクをガツガツとやっている様を見るのは、
いかにも現代科学のグロテスクな一面を
見せつけられている気がして、ぞっとする。
ごくまれにではあるが、年に数件、人身事故も起きているらしい。
つまり、飼い主であるはずの人間をトンボが誤って
食べてしまうというものだ。
およそ信じがたい話ではあるが、攻撃性が除去されているとはいえ、
生物の再生能力には恐ろしいものがある。
いつのまにか本来の攻撃性に関する神経回路を再生し、
不用心な人間に突然襲いかかるというケースも、考えてみれば
それほど突飛な話ではない気がしてくる。
そのような危険を知りつつも、我々は日々、トンボに
またがってこの街の空を飛んでいる。
そんな事に思いを巡らし、また不必要に憂鬱な気分がぶり返して
きた所で、目的の建物が見えてきた。
我々の所属するアスナ教の荒木町支部。
37階の止まり木にトンボを止めると、ふいに声をかけられた。
「おう、ツナグ」
バルコニーには知り合いのタケムラが丁度出てきた所だった。
「よう、調子どうだ」
「うん、まあまあだな。なかなか売り上げが出なくて
苦しいとこだけど。悪い噂でも流れてんのかな」
「悪い噂?」
「バザールで怪しげなモンを売りつけられたってさ、
被害者がわめいてんのかもしれんぜ」
「そんなの今に始まった事じゃないだろ。それより、何か
上に変な動きはないか」
「?どういう意味だ?」
「昨日、警察に挙げられた」
「!!あのシマに出入りはないはずだぜ」
「だから聞いてるんだ。何か事情が変わったのかも」
「。。。関係あるかどうかはわからないが」
「なんだ」
「組織は、ある女を捜し始めたらしい」
瞬間、私は心臓が凍り付く思いをした。
咄嗟に、心のカーテンを下ろす。
タケムラはテレパスとしての才能はたいして持っていない。
表面さえ取り繕えばこの動揺は隠せるはずだ。
「どんな女だ?」
「それが、顔写真すらないんだが、上が言うには、
『内側に住む女』なんだそうだ」
「。。。そうか、それはつまり、
ゲイの奴はカミングアウトしろってことだな」
私の苦し紛れのジョークに、タケムラは辛うじて笑ってくれた。
「これから仕事か?」
無意味な質問を投げてみる。
「いや、今日は家族サービスだ。嫁と息子を連れて買い物さ」
「家族持ちは大変だね。ほどほどにしろよ」
「わかってくれるね。ありがと。じゃあ、また」
「おう、また」
タケムラは自分のトンボの方へと歩いていった。
私には、建物の扉を開ける勇気がなかった。
こんな時にタバコでもあれば、この場所に突っ立っている
不自然さをごまかすことができるのだが、
あいにく法律で廃止されてもう数年になる。
仕方なしに私は、片方の靴を脱ぎ、振ってみて、
何か異物が出ないかと確かめる振りをした。
ついでに足の裏に刺が刺さっているジェスチャーも
付け加えてみた。
幸い、タケムラはそんな私の努力に見向きもしないで、
まっすぐに自分のトンボに向かい、飛び立ったようだ。
どっと疲れが押し寄せる。
だがここで気を抜くわけにはいかない。
建物の中はテレパスだらけだ。
強力なテレパスならば、私のカーテンなどあっさりと
通過して私の不安を感じ取ってしまうだろう。
私は可能な限り平静を保ちながら、
自分のトンボにまたがり、アクセルを踏んだ。
せっかく休めたばかりなのに、再び強制的に
空を飛ばされるトンボの不機嫌さが心に伝わってきたが、
今は一刻も早くこの場を逃れたかった。
今まで自分を守ってきた組織が、
自分の敵に回る可能性を考えると、
コンプレクソンを一箱飲んでも眠れないのではないかと
いう気がした。
不安と恐怖で頭が混濁したまま、
あてもなくトンボを飛ばした。
トンボの体力が限界に近い事に気づいた時、
あろうことかそこは食中の生産センター上空だった。
一般市民が生産センターに近づく事は許されない。
我々には、自分たちが食べる食物の生産工程を知る権利がない。
建物の周囲にはリビングセンサーが数体配置されている。
五感、いやおそらく六感の知覚を特殊な装置によって限りなく
鋭敏にされた生きたセンサー、所定の位置に座ったまま栄養と
(座ったまま享受できる)あらゆる娯楽とを供給され一生を過ごす、
新しい引きこもりの形態だ。
リビングセンサーの一人が私の意識に警告を飛ばしてきた。
「ここは飛行制限空域です。ただちに離脱して下さい」
私は大慌てでハンドルを切った。
数km離れた先にブロッコの建設予定空き地が見えた。
あそこまでこのトンボが保つだろうか。
滑空だけでもなんとか届きそうな距離ではある。
瞬時に方向を転換したから、
リビングセンサーには脅威と見なされていないはずだ、
そうである事を願う。
脅威と見なされれば、即座に迎撃用のハエが離陸し、
追跡、撃墜されるだろう。
リビングセンサーからの警告はその一度きりで、
私はどうにか草の生い茂った空き地に着陸する事ができた。
周囲には誰もいない。
ただ、いつのまにか眼前に女が一人立っていた。
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