Sun Sugar Son Blog http://sunsugarson.com/blog/ 映像クリエイトチーム Sun Sugar Son の Blog Sun Sugar Son /static/img/logo_image.jpg Sun Sugar Son http://sunsugarson.com/blog/ 多動状態 http://sunsugarson.com/blog/90 どうもブログから遠ざかっている。
ツイートじゃ足りない思いもあったりするけど、
こまめに表現していると切実な欲求が
生まれてこないのかもしれない。

とりあえず近況報告。
デザインの勉強はわりと順調。
これまで雰囲気でやっていた作業が、
スムーズに、かつ緻密にやれるようになってきたのは
うれしい。
写真のほうも、表現の幅が広がってきたかなあ。
最近はtwitpicを利用しているので、
暇な人は見てみてください。

http://twitpic.com/photos/sunsugarson

そして、今年も昨年に引き続き、
OSHINO DEADとひかり祭りの撮影舞台に
参加決定。
詳細決まったらまたアップします。
すごく面白い撮影ではあるんだけど、
もうちょっと戦友が増えるといいなあ。。。
だれか行きませんか?

そしてそして、
twitterの方ではしつこく告知しているのですが、
summer sonic 2011の新人枠に、
バンドでエントリーしちゃいました。
WEB投票で上位400組が一次通過できます。
もうかなり飛び級な感じですけどね。
もしよかったら、ポチっとクリックお願いします。
1日1クリックまで可能なので、
ステキな方は何度でもポチポチしてやってくださると、
嬉しくて踊ります。
ちなみに現在777位。
これはこれでミラクルだが。。。
あと377人追い抜けば、一次通過です。

http://t.co/MiCoE0R

なんだかんだ、
書く事がないわけではないのだろうけど、
最近はいろんな事に手を出しているから、
ゆっくりと自分の暮らしを振り返る時間が
足りないのかもしれない。
あと、このサイトではいわゆるお固い仕事を
受注してたりもするので、
あんまりプライベートな事が書きづらくて、
twitterに流れてしまうのかもしれないな。
とは言えちょくちょく書いているのだけども。

個人的な作品としては、
15秒の勝手にメッセージCMと、
自家生産のPVが進行中。

銀座周辺のギャラリーや映画館に足しげく通っています。

そんな日々です。

やっぱりなんか集中できないなあ。
まあ、またそういう環境が整ったら書こう。 ]]>
Sun Sugar Son Thu, 23 Jun 2011 13:31:12 +0900
バンド始めました http://sunsugarson.com/blog/89 流れていってしまったので、
ブログで書いてみる。

バンド始めました。
始めましたっつっても、
もう曲はずいぶん前からあって、
今の形のメンバーになって半年近く経ってるけども、
とにかくマイスペを作ったのです。

名前はHasuと言います。
蓮の花って言う時みたいに、
suにアクセントじゃなくて、
hasbandの事をハズっていう時みたいに、
ハにアクセントで、
Hasu。

最初はHASにしようと言っていたんだけど、
Human Audio Sponge(YMO)と被っちゃうから、
さすがに相手が悪かろうという事で、
uつけてHasuです。

よろしければ聴いてみてやって下さい。

音楽のジャンルの事とか、
あまり語彙を知らないのでうまく説明できませんが、
わりと映画的、というか、
風景の見えるような、
ストーリーの感じられるような、
そんな音を目指していたりするのかなあ。

うん、やはりよくわからん。
聴いてみて下さい。

Hasu myspace

ついでにちょろっと書くと、
最近コマーシャルフォトの勉強をしていて、
ライティングは動画にもかなり応用効くし、
おぼろげながら業界の構図も見えてきたりして面白いんだけど、
政治的な匂いは出さない方が仕事は来やすい、と。
色んなナイーブな問題に対して、
中立を装っていたほうがいいんだよ、と。
その道のベテランが、仕事の心得として忠告してくれた。

だけど、そいつはちょっと、苦手だなあ。
たぶん、無理なんじゃねえかなあ。
でも、家族を養っていくとか、
責任感を感じて人は変わっていくのかねえ。
でもそれって、ある種の責任を放棄する事でも
あるんだよなあ。

とか、考えた。

これもツイートしたんだけど、
たぶん流れたからまた書いてみよう。
twitterって即時性のものだから、
気持ちが動いたその時にoutputできるってのは、
すごく健康的なんだけども、
つぶやきだから、そんなに人の耳には入らないよね。

山本太郎のインタビュー。
干されるの覚悟で、筋を通そうとしてる。
かっけえ。
動かなきゃ、って気にさせられる。
安全なとこで吠えていてもしょうがねえな、と。

山本太郎さん 「ボクのたいせつなもの」

筋は通して生きていきたいもんです。 ]]>
Sun Sugar Son Sun, 29 May 2011 01:31:39 +0900
匿名の太鼓判 http://sunsugarson.com/blog/87 今日は書くぞ、えい。

どうもどうも。

まずは近況報告。

3月いっぱいで考古学財団との契約を終え
(って書くとなんか大物みたいですが、ただ辞めただけ)
4月から銀座に通っています。
目的は基金訓練。

以前友人と、宝くじ当たったら何使う?
というたわいもない話をした時に、
どう使うのがいいんだろうなーと
一日かけて真剣に考えてしまったんですが、
今よりもっとド田舎に引っ越したとき、
腕一本で飯が食えるように、
デザインとWEB制作に関する知識を学べる
学校に通いたいなあと、
しごく現実的な回答が出てきたのだけども、
宝くじに当たらなくてもそれはできるという事を
つい先日知るに至り、今回のような運びとなりました。

授業内容はMacを使ってデザイン系のアプリケーション
を学ぶ事がメインで、そこにスタイリングや
写真、動画の基礎、カラーマネジメントなどなどの
実習が付いてくる、といった感じ。
自分はいままでWindows環境での作業が中心だったので、
Mac環境で学べるというのは弱点克服のいい機会だったし、
加えて写真撮影の基礎が学べるというのも魅力的だった。

動画についてはさわり程度と聞いていたので、
過度な期待はしないようにしていたのだけど、
実習の中で同級生(なんという響き!)たちと
自分が自主制作と仕事を通じて得てきたものを
分かち合う事ができて、そのためにまた基礎的な部分を
勉強し直したり、なんとなく調べずに放っておいた
部分について新たな見識が開けたりして、
これはこれで自分のためになっている。

何より、お互い刺激し合って
相乗効果的にモチベーションが高まっているのは素晴らしい。
またもメンバーに恵まれたなあと思う。
今、近年まれに見るハイペースで色々作っているので、
このままあれもこれも完成させられたらなあと、
内心密かに燃えているのである。

で、学校の話はこれくらいにして。

モチベーションついでに、
来週末、隣町の施設で
バンドレコーディング&キャンプをする事に。
最近バンドでの音作りに力を入れていて、
今年こそはライブやりてえな、と。
そのために、ある程度のクオリティで
音源作らなくちゃねって事で。
公共施設のスタジオ使うんですけど、
キャンプサイトに宿泊できるのが嬉しい。
今年初のキャンプだ〜。
ホタル見れるかな〜。

そういえば、今週になって相模湖にツバメが帰ってきました。
駅舎の屋根は、ツバメの集合住宅と化していて、
30〜50戸位のツバメ家族が入居している。
形状的に巣を作りやすいのと、
蛍光灯に虫が集まるため職場も近い、という、
駅まで徒歩0分の人気物件なのです。

で、ツバメたちが帰ってくると、
駅の周りが急に賑やかになる。
何しろ、みんな一斉に海を渡ってくるから。

さすがにそれだけたくさん集まると、
糞の被害も尋常ではなく、
駅周辺の地面はモザイク模様である。
自分は今まで直接被害にあった事はないが、
中には落としものをされた人もいるだろう。
それでも巣の撤去に至らないのは、
人心に余裕のある証拠なのかもしれない。
なんとかいい対策が見つかればいいのだけど。

さて、この話もしないといけないな。

先日、浜岡原発の一時停止を求める署名運動について、
このブログ上とtwitter上で呼びかけを行った所、
友人の一人から冷静なツッコミを頂きました。
こういう社会問題について語る時、
ついつい自分の側に正義があるかのような、
独善的な立場での物言いになってしまうのは
いかんですね。
いかんいかんと思いながら、
なんども繰り返してしまっている。
なによりまずかったのは、
信憑性の低い情報を、十分に検討せずに
拡散しようとしてしまった事。
友人は「仕事がら、ネット上の単一ソースからの
情報は信用しない事にしている」そうで、
確かに少し調べてみれば、
真逆の立場からの情報もあるわけで、
自分のウカツさを思い知ったのでした。

で、それ以来、
特に原発・放射線関連のニュースについては
なるべく裏付けを取りながら、
自分である程度の判断ができるよう
知識の補強をしようとしてきたんですけども、
いやー、
調べれば調べるほど深みにハマっていくような気がする。
その友人も言ってたんですけどね、
わかんなくなるんですよ、誰を信じていいのか。
いろんな思惑が絡んでいる問題だけに。
そして、情報に振り回されないために調べているはずが、
調べる事に振り回され始めるというか。
けっこう疲れる。

「疲れたからもういいや」っていうのが、
一線越える事のような気もするし。。。
「自分はいつ死んでも良い」っていうのも、
悟りには違いないと思うけど。。。
過敏な反応はしたくないし。
楽しいのがいいのは間違いないけども。

なんか迷ってしまうんですな。

まあ人生を謳歌しながらこういう問題に
首突っ込みまくってきた諸先輩は周りにたくさんいるので、
そのへんのバランス感覚を盗めればと思うけれども。

今、どうしても見逃せない問題がひとつありまして。

先日、文部科学省が学校の校舎や校庭利用について
放射線量の暫定基準値を設定したんですけども。
その数値が、毎時3.8マイクロシーベルト。
年間20ミリシーベルト以下になるよう考慮したそうなんですが、
18歳未満の作業を労基法で禁止している放射線管理区域の
基準が毎時0.6マイクロシーベルトなんで、
原発作業員が防護服着て入る管理区域の6倍の放射線が
飛んでる場所で、子どもが遊んで差し支えありません、
という判断を下したわけです。
子どもは細胞分裂の速度が早いから、大人に比べて
放射線の影響を受けやすい。
なおかつ校庭って砂埃が立ちやすいので、
放射性物質を含んだ砂を吸い込み内部被爆する
可能性が極めて高いのに、文科省の出した数値は
内部被爆について考慮していない。

こうした事を理由に基準値の引き下げを求める署名運動が
あって、自分はまあ既に署名したんだけども、
後からよくよく読んでみて、「年間20ミリシーベルト
で大丈夫と太鼓判を押した学者の名前を公表しろ」
ってな文言があって、これをそのままみんなに
拡散するのは気がひけるなあ、、、と思った次第です。
まあたしかに、文科省がどういう経緯でこの数値を
出したのかあまりに不透明すぎて、
安全対策の費用削ってるだけじゃねーのかと
憤る気持ちは自分にもあるんですが、
吊るし上げみたいなのはどうなんだろうな。。。
しかしこんな重要な基準を、
匿名で太鼓判押されても困るというか、
匿名の太鼓判ってそもそも意味ないような気がするんだけども。
ちなみに文科省の担当官は
放射線管理区域という概念そのものを
知らなかったそうで、
それはさすがにヤバいでしょ、と思いました。

ちなみに、この問題について、
日弁連が基準引き下げを求める声明を出したそうで、
もちろん文科省は反論してるんだけども、
日弁連が黙殺しなかった事で少しだけほっとしました。

今回はリンクを貼るだけにとどめておきますので、
気になった方は目を通してみて下さい。
そういえば前回の署名運動の時、
友人の一人から「あれって署名した方がいいんですか?」
と聞かれけっこうショックでした。
自分の書き方が悪かったのかもしれませんが、
個人の価値観や道義観にも関わることがらなので、
ご自身の判断と責任で、
署名するなり拡散するなりして下さい。

よろしくぅ。


署名運動概要


日弁連の声明発表に関する記事 ]]>
Sun Sugar Son Wed, 27 Apr 2011 20:57:45 +0900
原発停めれ http://sunsugarson.com/blog/86 ずいぶんな騒ぎになってしまいましたね。
事が大きすぎて、いつもの自分を保つのがすごく難しい。
それでも、自分の状態を意識する事で、
浮き足だっているな、と気づいたり、
深呼吸をしてみたり、
そんな些細なケアをしています。

さて、こんな時にこのブログをどれだけの人が読んでいるのか
わかりませんが、今回はちょっとした署名への
ご協力をお願いしたいのです。
押しつけがましいのは嫌なんですが、
これはちょっと黙っていられないので、
不快に思う方がいたらごめんなさい。
一人でも多く人に手を貸してほしいのです。

静岡県御前崎にある浜岡原子力発電所。
以前から老朽化や耐震性が懸念され、
加えてデータ改ざんなどが明らかになり、
東海大地震が発生した場合の放射能流出が、
極めて高い確率で起こりうる原発と思われますが、
現在稼働継続中です。
原発の真下には活断層が何本も走っており、
地盤は非常に脆弱という研究結果も出ています。

停止を求める市民の声に対して中部電力は、
「安全性は確保されているから、大丈夫」
との立場を変えていませんが、
今日の発表だったかな、
遠州灘沿いの敷地内に、
高さ12m以上の壁を建設する事で、
津波対策を行う意向である、との事。
そんな壁がいつになったら完成するのかわかりませんが、
東海大地震の震源地になると想定されている
富士宮市付近のプレート境界で、
つい昨晩、震度6強の地震がありました。
中電の発表はこれを受けて、
市民の不安に答えるために
壁の建設計画を発表したのでしょうが、
壁が完成するまで、地震は待ってくれるのでしょうか?

福島の原発では、あれだけ命がけで作業をしても、
一向に事態好転の兆しが見えない。
震災発生時に冷却不能となった原発を停止させるのは、
それだけ大変でリスキーな事なわけです。
でも今なら、誰一人危険に晒すことなく、
安全に停止が行える。
M7.0クラスの余震が一ヶ月以内に起きる可能性は
70%との発表が先日あった。

なのになぜ停めない?

原発を一度停めると、
再稼働させるために膨大な経費がかかるのだろうか。
それとも、耐震性を偽装して絶対安全との
立場を貫いてきたために、
出した嘘を引っ込められないだけなのだろうか。
原発が絡むとマスコミも行政も司法も、
とたんに不可解な動きを取るから、
なかなか明るみに出ない事が多すぎるのだけど、
危険に晒されるのは一般市民なわけで、
浜松に実家があって、友人もたくさん住んでいる身としては、
「想定外の事態が起きた」
なんて言い訳は受け入れられない。

という事で。
浜岡原発の一時停止を求める署名にご協力願いたいのです。
指定のアドレスに件名、名前と住所を書いて送るだけ。
こういう時に行動するのって、なんだか
面倒臭いような、偽善っぽいような、
どうせ何もかわらないような、
知ったこっちゃ無いような、
そんな空気に流されて、
自分とは関係の無い世界の出来事っていうふうに、
心のどっかで整理しちゃいがちなんだけども、
それは本当に危ないんです。

浜岡でメルトダウンが起きれば、
偏西風に乗って関東圏に高濃度の放射性物質が飛来します。

不安を煽るような事はしたくないけど、
現実に目を向けてほしい。

以下、自分のもとに届いたメールの転送です。
署名の提出期限は明日の朝7時。
ずいぶん切羽詰まっていますが、
自分も今日になって知った運動なので、
そこの所は申し訳ない!
17日の7時以降にこのブログを読んだ人で、
賛同してくれる人がいれば、
締め切り後でもいいからメールしてみて。

起きてしまった事は仕方が無い。
今、できる事をやろう。

*****

福島原子力発電所の事故を受けて、
浜岡原子力発電所の運転の再考を願う要望書に
賛同ください

「福島原発事故を受けて、浜岡原発の運転停止を願う市民有志」
代表 馬場利子

要望書は、静岡県知事と中部電力社長宛に書きました。(要望書は
文末と添付資料にあります)

要望書は、すべて個人名の連名で届けたいと思います。
世界中からの賛同をお待ちしています。

賛同いただけます方は、plumfield9905@yahoo.co.jp(提出事
務局 プラムフィールド)まで、
『要望書に賛同』という件名で 『住所と氏名』を返信ください。

(お預かりしたアドレス、お名前は要望書の提出以外には使用いた
しません)

要望書を 3月17日(木)または18日(金)に届ける予定ですので、
賛同のお返事は 3月17日朝、7時までにお願いします。


2011,3,13   馬場利子


詳しくは下記のサイトへ
プラムフィールド
http://www.geocities.jp/plumfield995/

*********************

メールの内容につきまして、関心を持たれていない方にお送りしている場合は、どうかお許し下さい。よろしくお願いします。              


【ワード資料】
静岡県知事 川勝平太様
東海地震に備えて、浜岡原子力発電所の運転停止を働きかけてください。

中部電力株式会社 代表取締役社長 水野明久様
東海地震に備えて、浜岡原子力発電所の運転停止を要望します。
]]>
Sun Sugar Son Wed, 16 Mar 2011 23:00:22 +0900
熊野の旅 後半 http://sunsugarson.com/blog/85 久しぶりにだらだら書こう。
近況報告がてら。

まず、前々回のブログを「熊野の旅 前半」と
したせいで、後半書かなきゃなー、
と思っていたら段々書きたくなくなってしまった事。
でもそれを書かないと、
その次が書けないような、
A型的な脅迫観念にかられ、
喉に言葉が詰まったような日々だった事。
そうしたら、なんだか心の中が
淀んできてしまった事。
自分こんなんばっかだなー、すんません。

ま、あの後の事をかいつまんで言うと、
天川神社には行けませんでした。
天川村に続く道は、ちょうど年末の大雪でかなり
状態が悪く、チェーンをはく必要があったのですが、
年末年始でカー用品店もレンタカー屋も
片っ端から休みをとっていて、
公共交通機関の利用も無理、
どうにもこうにも手段がないという事で、
じゃあ奈良でいいんじゃない?って展開に。
結局奈良のゲストハウス「UGAYA」に泊まり、
夜の奈良を徘徊、爆笑。
奈良は不思議な町だ。

ひとつ気になったのは、
ゲストハウスに置いてあった、
天川についての本。
弁財天さんが芸術の神様という事もあり、
天川には様々なアーティストが集まるのだけども、
それはたしか細野晴臣さんの文章だったと思う。
「天川には、そこにいく準備のできた人しか
辿り着く事はできない」
そんなような内容の事が書いてあった。
うん、なんとなく、そういうものを感じたんだよなあ、
と納得したりして。

翌日は鹿とたわむれ、大仏を見て、
帰路に着きました。
大仏の前でそれぞれ今年の抱負を語ろう、
という話になり、自分が選んだのは、
「迷わずやりたい事をやる」でした。
色々な事を気にしてるうちに、
タイミングを逃してしまう事が今まで多かったんで、
今年はやりたい!と思ったらすぐ動く!
という事にしました。
鉄は熱い内に打て!
って事です。
東大寺の入り口の門の真ん中に、
片目の鹿がすっくと立っていて、
ボヴァリー夫人に出てくる盲の乞食の
くだりを思い出した。
あの鹿には、もっと気品と威厳があったけれども。
なにか、こちらの後ろめたい部分を
突き刺すような、見通すような、
いわば千里眼のような雰囲気。

帰路、実家のすぐ傍を通ったんで、
しばらく心がざわざわしていたんだけど、
やはり寄って帰る事にした。
パートナーと共に暮らし始めてから、
急に実家と、というか母親と疎遠になり、
一言も言葉を交わしていなかったのだ。
でも、この勢いで会ってしまおう、と思って。
もし今、母の身に何かあって、
このまま二度と話ができなくなってしまったら、
俺は一生このもやもやをひきずって生きるのか、と、
そう考えたら、会わないわけにはいかないと思った。
で、浜松で車を降りて、みんなとお別れをした。
天川に行くときは一緒に行こうという約束を交わして。

実家に電話をかけると、
のどが急速に渇いていくのを感じた。
母が出た。
これから帰る事を伝えて、バスに乗った。

家族は、いつものように暖かかった。
もちろん、抱えている思いもそれぞれにあるけれど。

一泊だけして、翌日の午前中に家を出た。
帰り際、家族と一緒にビデオで記念撮影をした。
考えてみれば、今まで撮った事なかったなあ。
なんだか、やたらと仲の良さそうな
家族の風景がそこに映った。

そんなこんなで、こっちに戻ってきました。
あれ、なんだかんだで後半書いてしまった。

自分は、家族やパートナーの事を、
極力ブログに書かないようにする癖がある。
それはなぜ?と友人に問われた時、
「周りに迷惑をかけないように」と答えたけれども、
そのあとすぐに、
「いや、違う、もっと何か、利己的な動機だな」と
言い直した。
その利己的な動機が何であるか、
深く追求したりここで書いたり、
そういう事をしたいわけではないのだけど、
そういう理屈抜きで人に見せたくない
部分っていうのは、大抵
人から見れば面白い部分だったりするんだよね。
物語的というか。
ドキュメンタリーってのは結構、
そういう部分を追求していくものだし。

その辺に何かあるんだろうなあ。
アバウトな感触だけども。 ]]>
Sun Sugar Son Fri, 18 Feb 2011 12:23:38 +0900
覚書その1 m2tsファイルの変換 http://sunsugarson.com/blog/84 この情報を必要としていない方は
すっ飛ばして下さい。よろしく。


さて、たまーにやる作業は忘れやすい。
DVDから取り出した動画を編集したり、
AVCHD対応のハンディカムで撮った動画を
premiereで読み込むために変換したり、
まあ他にも色々あるんだけど、
今回は後者についての覚え書き。
ネットサーフィンしてやり方わかっても、
しばらく経つと忘れてしまって、
同じ情報に辿り着くためにまた
サーフィンするという時間の無駄を省くために。
かつ、同じところでつまづいて、
ネットの森をさ迷っている同胞のために。
ま、自分のやり方なんで、
他にもっと効率の良いやり方があったり、
だれかの痒い所に手が届かないかもしれませんが。

----------------

sonyのハンディカムをはじめとする
家庭用小型ビデオカメラで撮影された
AVCHDファイルは、映像がh.264、音声がac3という
コーデックで、m2tsコンテナに収められている。
これをpremiere CS3で読み込もうとすると、
サポートされていない形式か、
ファイルが壊れているため云々、
とケチをつけて読み込んでくれない。

で、どうするかというと、

①m2ts→mpgに変換

ハンディカムなら付属のPMB
というソフトを使用して、m2ts→MPEG-2に変換。
(活用→変換→MPEG-2形式で保存)

*他社製機種についてはよくわかりませんが、
付属ソフトなんかでできなければ
「m2ts mpg 変換 フリーソフト」あたりで
ググって下さい。

これでコンテナはmpgになるわけだから、
premiereで読み込む事ができるのだけど、
映像だけでなぜか音声が出ない。
どうもac3という音声形式が、
普通のmpgの音声形式と違うらしくて、
そのへんが問題らしい。という事で、
音声ファイルだけを変換します。

→(追記)
どうも、この先の手順を省く方法が
あったようです。
Encore CS3直下の
「ad2ac3dec.dll」というファイルを
Premiere CS3直下にコピペする、というやり方。
こんな簡単な作業でさっくり解決。
なぜデフォルトでそうしておかないのだ。。。?


C:\Program Files\Adobe\Adobe Encore CS3\ad2ac3dec.dll

をコピーして

C:\Program Files\Adobe\Adobe Premiere Pro CS3\

にペースト。

そんだけ。


②mpgファイルを映像と音声に分離

TMPGEncというフリーソフトを使って、
mpgファイルを映像(m2v)と音声(ac3)に分離します。
やり方は下記サイトに詳しいので、
よく読んでみて下さい。

TMPGEncを使って、エムペグ(MPEG1 MPEG2)を映像と音声に分離


③ac3をwavに変換

xrecode Ⅱというソフトを使用します。
使い方も下記ページに書いてあります。
かなり視覚的に操作できるソフトなんで、
難しくはないと思います。
あとちょっと!がんがれ!

xrecode Ⅱ - k本的に無料ソフト・フリーソフト


④m2v、wavをpremiereに読み込み

ここまできたら、それぞれのファイルを
premiereに読み込むだけですね。
TMPGEncを使って、映像と音声を結合させる事も
できるのかもしれませんが、
自分は面倒なんで、premiereのタイムライン上に
ならべてリンクさせちゃいます。
この時、映像と音声がずれたままリンクしちゃうと、
なんだか気持ち悪いことになるので注意!
きちんと先頭を合わせてからリンクしましょう。

----------------

とまあこんな感じで、
読み込む事ができますが、
まあ面倒くさい!
いったいどれだけ手順を踏めばいいんだ!
って感じですよね。
おそらく家庭用PCでの編集を前提としていない
機種って事なんでしょうね。
しかしそんな事は買う前によほどリサーチしない
限り解らないから、困ったもんです。
きっとSONYの事だから、VAIOで編集するなら
サクサクできたりするんでしょうね。
あるいは、発展途上の技術なので、
時の経つのを見守るしかないのかもしれません。

あんまりこんな事を人に教えるタマではないのですが、
変換作業中のヒマを使って書いてみました。
アバウトな知識ですんません。
]]>
Sun Sugar Son Fri, 18 Feb 2011 11:40:11 +0900
熊野の旅 前半 http://sunsugarson.com/blog/83 初日の宿だけを予約してのいきあたりばったり旅行。
そのうち映像もまとめてアップしたいけれど、
まずは文章で旅の思い出を綴ってみる。

中央線で北から雪国をぐるりと回り、
まずは三重県の関宿へ。
東海道の宿場町で、古い町並みを
保存しながらも観光地化しないという、
粋なたたずまいの町。
古民家を改装した旅人の宿『石垣屋』に宿泊。
とにかく町並みが、建物がかっこいい。
そして宿に泊まっている人たちがあったかい。
車にのせてもらい近くのホテルの貸し湯へ。
その後はスーパーで食材を買い、
みんなで鍋を囲む。
酒はほとんどがお客さんの差し入れという事で、
何十種類とある銘酒がすべて飲み放題。
そこにある酒を飲んだお客さんが、
次回来る時に差し入れを持ってくるので、
常に大量のストックが発生するらしい。
Give and Giveの精神だなあといたく感得。
ぐるぐるに酔ってこたつでダウン。
しかし静岡出身だという女の子に起こされる。
4人組で静岡から来ていて、
明日熊野古道に行くというのだ。
なんと車に乗せてくれるという。

翌日はありがたく車に乗せてもらい、
熊野古道へ。
ギターとジャンベの間に挟まるようにして車に揺られる。
熊野古道というのは、かなりたくさんのルートから
構成されているのだが、
今回はまず小手調べという事で、
比較的易しいとされる伊勢路の一部、
馬越峠を歩いてみた。
古い石畳を歩きはじめた直後、
猿の一行が行く手を横切る。
全部で10頭ほどで、小猿も4頭ほどいただろうか。
あれはどういう構成なのだろうか。
やっぱりボスとなるオス猿が1頭だけいるのだろうか。
小猿はちゃんと大人の猿に挟まれるようにして
横切っていった。
ああいうのが原初的な家族だったのだろうかと、
いろいろ思いを巡らせた。
石畳に落ちる木漏れ日はすごく綺麗だった。
途中、杉の大木があって、
その樹皮に耳を当ててみた。
水の流れる音が聴こえるような気がした。

峠を半分まで行った所で、
その日の宿まで行く時間が残り少ない事に気づき、
来た道を引き返す。
車に乗り込んで紀伊半島の南端を目指す。
途中、網の目のような模様をした奇岩を発見。
車を降りてしばし楽しむ。
溶岩が海に落ちる時に、
その熱で一瞬にして蒸発する海水の水蒸気が、
冷えて固まった溶岩の中に泡として残って、
そういう地形を作ったのかなと推測したが、
正しい事は解らない。
特に観光地として紹介されている場所でもないようだ。
2010年最後の日の入りを南端の岬で見ようと思ったが、
着いた時にはほとんど日は沈んでいて、
あまりの強風に波は荒れ木々はざわめき、
すごく不安な気分にさせられる海辺だったので
とっとと車に帰った。
その日の夜は田辺にある『ブッダゲストハウス』に宿泊。
実はこの宿、出発前の下調べで発見し、
泊まりたいけど遠いから無理だろうと
諦めていた宿だったのだが、
同行の4人が予約していたのだ。
しかも別働隊の友人たちがすでに到着していて、
その日は貸し切り状態だという。
なんという偶然。
宿に到着し、楽しげなメンバー達に迎えられる。
うち一人とは共通の友人が何人かいる事が判明。
宿にはオーナーが各地を旅して集めたのであろう、
小さな仏像や法具などが飾られている。
そして当のオーナーはいない。
今日はもう帰ったという。
なんというゆるさだろうか。
犬の持ち込みもOKなようで、
一頭はケージの中、一頭はそのへんを
うろうろしている。
鍋をつつき酒を飲み、年の明けるのを待つ。
そのうちにまたダウン。
年越し直前に偶然だか起こされたんだか
とにかく目が覚めて、無事に年をまたぐ。
近くの神社へ初詣に出かける。
お参りをしたけど、今年は特に何も
願い事はしなかったかなあ。
最近は、なるべく願い事をしないようにしているのだ。
ただ、心から感謝して、祈りを捧げられるのが
理想だと思っている。
たまには願い事も言うけどね。

宿に戻って眠りに落ちる前に、
明日は天川弁財天に行ってはどうか、
という提案が耳に入った。
実は、4人のうちの1人、
車を運転していたA君も、
天川に行ってみたいと思っていたらしいのだ。
またもや偶然である。
いつか行きたいと思っていた天川に、
元旦早々行けるかもしれない。
別働隊のメンバーは大晦日に天川に行ってきたらしい。
「まあ無理していく所ではないけどね。
タイミングで行ける時に行ける場所だから」
そんな言葉が耳に残ったが、
期待を抱いてその日は眠った。

翌朝、天川弁財天社のHPを読む。
宮司さんはかなり頭の柔らかい人のようだ。

人やすべての生き物は、地球という大きないのちの
一部である、という考えが神道の原点にはあり、
それは近代科学の発見したガイア理論と一致するものだ。
だが現代ではそうした感覚が失われて久しく、
その事によって精神に大きな欠落が生じている。
精神の健康を取り戻すための特別な時と場所を
提供するのが神道の務めであり、
それには伝統的なご神事だけではなく、
写経でも瞑想でも気功でもヨガでも、
森林の散策でもなんでもかんでも、
効くものは何でも取り入れていこうと。
たしかそんなような主旨の事が書いてあった。
(かなり割愛しているので、気になる人は上記リンクの
「社務所より皆様へ」ってページを読んでみて下さい)

そんな感じに要約して、
天川の面白さをプレゼンしてみると、
それほど乗り気ではなかった島田出身のHが
ぱかーんと盛り上がって、
まだ眠っているA君とY君を起こしに行き、
温泉に行っていたOちゃんの帰宅を待って
天川へ向かう事に。

宿を出る直前になってようやくオーナーが登場。
あやうく宿泊費を払い損ねる所だった。
なんというゆるさだろうか。
みんなで記念撮影をして出発。
宿でHとさんざんじゃれていたムクムク犬のプーが、
車が出る間ずっと悲痛な叫びを上げていたが、
車が走り出すと抱かれていた腕からするりと
抜け出し、吠えながら車に追いついてきた。
うわあ、映画だなあと思ったのだが、
一瞬遅れてその姿を撮影できなかった。
無念。

車はまだ紅葉の残る紀伊半島南部から、
奈良県天川村を目指し北上する。

どうやらずいぶん長くなってしまいそうなので、
続きはまた次回。 ]]>
Sun Sugar Son Tue, 11 Jan 2011 00:42:53 +0900
トロトロと http://sunsugarson.com/blog/82 毎日綴ってみようと思ったブログであったが、
連続3日でぱたりと止まってしまった。
でもまあ、眠い時に書かなきゃ書かなきゃ、
っていうのも何だか何だかなので、
これくらい空いても良しとしよう。

実は前々から、ブログをプライベート用と仕事用と
わけてはどうかと考えていたのである。
と言うのも、自分はこのサイトを通じて仕事の依頼を
受ける事が多いので、このブログで書く内容には
けっこう気を使うのである。
自分のありのままの姿を書く事に対する欲求と、
仕事上それはまずいだろうという懸念との間で
葛藤があったのだ。

で、まあ結論から言うと、
わけない事にした。

この間、Jさんの家の忘年会に誘われた。
日本のロック黎明期から第一線で
撮影を続けてきた巨匠である。
某パーティーのオーガナイザーも来るという。
あのウッドストックに参加していた生きる化石である。
自分は果たして、うまく話せるだろうかと不安になった。
そして、いろいろと思い出したのだ。

自分は以前、左半顔面神経麻痺という症状を
患っていた。病でなく症状と書くのは、
医学的に明らかに出来たのは、
原因ではなく、結果として現れた症状だけだったからである。
10日間入院してさまざまな検査をしたが、
皆目原因がわからなかった。
医師は最初の診断で、
「精神的なショックとか、何か思い当たる事はありませんか?」
と自分に尋ねたが、
その時自分はわからないと答えた。
それは本心だったのだが、
今になって振り返ってみれば、
なぜわからないと思ったのか不思議でならない。
それほど、精神的な負担を抱えていた時期だった。

まず、電車の中で痴漢呼ばわりされた事。
その時の気持ちはたぶん、言葉にしても伝わらないと思う。
車内の空気がひやりと冷たくなって、
周囲の人間全てが一瞬にして敵にまわったような、
孤独な恐怖。
自分は本当に何もしていなかったのだが、
トラウマに対する脳の防衛機制なのか何なのか、
やがて自分は強迫観念を抱くに至る。
それは、自分の思考が他人に筒抜けに
なってしまっているのではないか、というものだ。
つまり、自分の性的な妄想が周囲の人に
漏れたために、痴漢と呼ばれたのではないか、と。
統合失調症の患者にそうした思考パターンがよく見られる、
という事は知識として知ってはいたのだが、
そうした知識が状況を改善する事は無かった。
そして、公の場では自分の中の性的なイメージを
押し殺さなければならない、という強迫観念に
取り憑かれてしまったのだ。
そうやって欲求を押し殺そうとすればするほど、
イメージは更に暴れはじめ、
やがて手のつけられない状態になってきた。
自分の直視したくない自分のあらゆる部分が、
押さえつけられる事によって勢いを増し、
それぞれに大声で喚き始めた感じだった。
それは比喩ではなく、
実際に大声が頭の中で鳴り響いていたのだ。
イメージもまるでコントロール
できない有様だった。

それと前後して、
発言恐怖とでも呼べる症状が現れた。
元来人見知りな性格ではあったのだが、
それがエスカレートした、とでもいおうか。
自分が劣等感を感じる相手、
例えば優れた才能を持つ人であったり、
精神的にすごく調和のとれた(ように見える)人であったり、
そういう人と対峙した時に、
全く言葉が出なくなってしまうのである。
これは後から分析した事だが、
おそらく、劣等感に刺激されて、
自分を良く見せたい、という思いが高まり、
下手な発言をして自分を低く見せるわけにはいかない、
という強迫観念が働いていたのではないかと思う。
こうやって書くと、どうもそれだけではないような
気もするのだが、こういう部分が
あった事は確かだと思う。

まあ、そうした諸々を振り返ってみると、
その頃の自分は、
本当の自分を隠したくてしょうがなかったわけである。
そんな状態から、
さまざまな人や言葉や物語に出会い、
あるいは自然に触れる事で、
あるいは幼少時の記憶を呼び起こす事で、
本当の自分を、まずは自分が認める事、
それが最も大切な事なのだと悟った。
言葉にしてしまえば本当に陳腐なのだが。
理想化した自分像というものがあって、
それは様々な体験から生成されるのだろうけども、
その理想像にそぐわない自分の様々な部分を、
これは自分ではない、と切り捨てて来たのだ。
そうやって、自分が自分であると認めている領域と、
そこからはみ出てしまった領域とで、
人格が分断されていたような気がする。
そうしてはみ出した部分が発言権を得て、
駄々をこねる子供のように暴れていたのだ。
そういう自分の厭らしい部分に対して、
無視したり押し付けたりするのではなく、
「どうして暴れるんだい?」と、
子供に問いかけるような調子で触れる事を学び、
やがて子供は泣きわめくのをやめて、
おとなしくなった。

なんだか、ふとした事から、
ずいぶん吐き出してしまった。
という事は、これらの言葉は
吐き出されるのをずっとずっと待っていたんだなあ。
麻痺したのが丁度厄年で、だから25か、
精神的な調和を取り戻すにつれて、
自然と麻痺は消えていったのだけれども、
こうやって言葉にして書くには、
3年かかったという事か。
この辺りの経緯は、前回撮影した自主映画
『パライソの週末』のテーマにもなっているので、
物語としては既に語っていたのだけど。
(と言いつつ、ちゃっかり自作の宣伝をする)
ただ、あのころは混沌のまっただ中で、
自分が人に見せたくない領域について、
それを見せなければ映画にならないわけだから、
その事自体が大きな葛藤で、
というかそれが最大の原因なんじゃないかと、
今こうやって書いて気づいたわけなんですけども。
今は自分に対してかなりゆるくなったから、
こうやってある程度冷静に振り返って語る事もできる。
自分について、語れる領域が増えたという事だろう。

で、冒頭の話に戻るんですけれども。
Jさんとこの忘年会に行く日に決意したのだ。
ブログをわける事はやめようと。
そうやって仕事用のイメージを作ってしまうと、
また同じ事の繰り返しになってしまうから。
仕事用に当たり障りの無い事を書くのではなく、
ありのままを書きながら、
ありのままの自分を、この人に撮影してほしい、
と思われるような、そういう自分に近づけていく
努力をすべきなんだと思ったのだ。
「統一は分裂よりも強い」
回復期に出会った言葉の一つだ。

お金をとって仕事をしている以上、
今日の撮影はここが失敗だったとか、
勉強になっただなんて、
そんな事は言えない。
それは理想云々ではなくて、
プロ意識の問題だと思う。
ただ一方で自分は、
やたらと好奇心が強い。
手を出してみたい事は山ほどある。
残念ながら、映像一筋とは言えないのだ。
そこの所は、
隠さなくてもいいかなあと思えて来た。
音楽作るのも、
野菜を作るのも、
遺跡の発掘、、、も?
好きなのである。
(遺跡は、もっと色んな所に行きたいのが本音だが。。。)

あわよくばやってみたい事は
山ほどある。
自分の好きな事を夢中で追求していって、
その結果として蓄積された知識や技術に、
クライアントが価値を見いだしてくれるような、
そんな形で仕事が成立していけば、
言う事ないですよ。
そうやって生きてきたのであろう先達を見て、
ちょっと勇気をもらった年の瀬でした。 ]]>
Sun Sugar Son Wed, 29 Dec 2010 01:50:46 +0900
熊野路 http://sunsugarson.com/blog/81 いつでも書けるからなんて思っていると、
寝る直前まで先延ばしにしてしまって、
睡眠時間を気にしながら
キーボードを叩いている有様だ。

いかんなあ。

もっと落ち着いて、
自分の体験、精神状態、思考を整理するために、
書くべきなんだけどなあ。

今日は昼近くになって起きた。
昨夜の酒が残っていたのか、
偏頭痛がしていた。
米を炊いて遅めの朝食を作る。
白菜の浅漬けと、
かぶのみぞれ汁、
かぶの葉と油揚げの炒め物。
パートナーが作っておいてくれた
カボチャの煮つけと豆アジの南蛮漬け。
ずいぶん豪華な食卓になった。

食材のうち、白菜、大根、カブ、カボチャは
うちの畑から。
お茶はばあちゃんの実家から。
味噌は手作りだけど、
原料の大豆は買っている。
食料自給率30%くらいだろうか。
主食を作りたいね、という話をする。
来年は雑穀に挑戦するつもりだ。

年末年始の休みを使って、熊野古道を
歩いてみようかと思っている。
まずは伊勢路からかなあ。
夏にはテントを張りながら、
何日もかけて歩いてみたいけれど、
今は寒いから安い宿を探して、
小手調べの感じで行ってみようと思う。

どんなところだろう、熊野。

天河弁財天の由来について、
アラスカのグリニッチインディアンの
ストーリーテラー、
ボブ・サムが語っていた話を連想する。

昔、新しい人々が大陸から渡って来た時、
大きな戦があった。
カラスを奉じる人々は、
村を捨てて山奥へ分け入った。
山中に一本の細い道があった。
村の指導者が、まずは一人で
その道を抜けてみる事にした。
途中まで来ると、
背後から戦の黒い煙が押し寄せてきて、
彼を包み込んだ。
彼はそばにあった木のうろに首をつっこみ、
そこの空気を吸って煙をやり過ごした。
うろから顔を出すと、
白かった彼の衣は黒く染まっていた。
やがて彼はその道を抜けて、
谷間の美しい場所に出た。
そこで彼は引き返して一族の人々と共に戻り、
その地に村を造った。
これが天河弁財天の由来である、と。

記憶を辿って書いたので、
細かい部分は間違っているかもしれないが、
だいたいこんな筋だったと思う。

この話、自分にとっては、
いろいろ刺激的な要素を含んでいて、
そのへんは長くなってしまうので
追々書こうと思うのだが、
まあすごく興味深いのである。

熊野古道と天河の関係については、
まだあまり良く知らないのだけど、
あの山深い熊野の路を歩いてみたら、
またいろんなイメージが広がりそうだなあと、
そんな期待を抱いている。 ]]>
Sun Sugar Son Thu, 23 Dec 2010 23:50:14 +0900
一期一会 http://sunsugarson.com/blog/80 送別会に参加して終電で帰宅。
もしかしたら今夜を限りに
二度と会わないかもしれない相手。
想像力をたくましくしてみても、
未だにその感覚がうまくつかめない。
人は一期一会の出会いを重ねて行くというが、
もう二度と会えないというのは
なかなか実感として持ちづらいのだなあ。
それはある意味で楽観的と言えなくもないが、
それゆえに取りこぼしてしまう出会いも
あるのではないかという気がする。
それでもやっぱり、
どこかでまた会うような気がしてしまうんだよなあ。 ]]>
Sun Sugar Son Thu, 23 Dec 2010 01:27:41 +0900
かるく http://sunsugarson.com/blog/79 なるべく毎日、
綴ってみようと思った。
書こう、書こうと思って
仕事から帰ってきた。
あんまり溜め込んでしまうと、
もったいぶってしまって、
あれもこれも一度に伝えたいと
思い詰めたようになってしまって、
それで身動きが取れなくなってしまって、
そのうち、何が伝えたかったんだか
よくわからなくなってしまうから。

以前にも何度か似たような決意を
したみたいだけども。
だから今回も続かない可能性は
高いのだけども、
気楽な禁煙みたいな感じでやってみよう。

自分の言葉が取り戻せるかなあ。

今日は仕事から帰って夕食を作った。
雨の中を畑に出て、
白菜を取ってきた。
なんだか野菜泥棒みたいだと思った。
やはり白菜・大根は冬でもよく育つ。

白菜と鶏はむのペペロンチーノと、
オニオングラタンスープを作った。
けっこう美味しかった。
夕食を食べてる途中で、
何か物音がした。
風でドアが鳴ったのか、
お隣が雨戸を閉めてる音かなにかだと
最初はそんな風に思ったのだが、
どうやらノックらしい。
こんな雨の中何だろう、と、
チェーンをつけずに鍵を開けた事を
少し後悔しながらドアを開くと、
お隣のおばあちゃんが立っていた。
大家さんが置いて行ったまんじゅうを
わざわざ届けに来てくれたらしい。
受け取ったまんじゅうの包みの中には、
まんじゅうの美味しい食べ方についての
注意書きが入っていた。
饅頭屋のものかと思ったら、
どっこい大家さんのタイプした手紙だった。
タイトルが、
「甲州道中(旧甲州街道)野田尻宿(山梨県上野原市西部)の、
昔ながらの手作りの饅頭です。」
とあり、
その下に大家さんの名前と電話番号と住所という
念の入った文責表記である。
饅頭の保存方法には、極めて厳格な注意がしてあった。
加えて、電話もかかってきた。
師走の挨拶と、饅頭の保存方法についてだった。
すごいなこの人、と思った。
饅頭は今日食べるぶんを残して冷凍しました。
安心して下さい。

韓半島の情勢が気になって
ニュースをチェックをしていたら、
面白いものを見つけた。
YouTube Playという、
YouTubeとグッゲンハイム美術館が
共同開催している、
世界でもっとも優れたオンライン動画を
決定するコンペティションで、
候補作品を全て視聴する事ができる。
まだ全部は見ていないけれども、
ほほー、才能じゃ才能じゃ、
すげえなー、という感じです。
刺激されました。
晩飯食いながら聴いていた
アニマルコレクティブが、
審査員に加わっているっていうのも
なんだかグッとひかれました。
自分はそういう偶然に弱い。

雨が強くなってきました。

とりあえず今日はこんなところにしておこう。

おやすみなさい。 ]]>
Sun Sugar Son Tue, 21 Dec 2010 22:18:50 +0900
時間貧乏 http://sunsugarson.com/blog/78 一ヶ月と少しが経った。
その間、思う事は色々とあったのだけど、
なかなか書く事ができずにいた。
今日は、上の人たちが会議をしているので
発掘現場は休み。
先週末、先々週末と撮影が3件重なり、
編集すべき映像がたまっているので、
丁度いいのだけれども、
それに手をつけてしまうと
たぶんまた書けなくなってしまうだろうから、
その前に少しアウトプットしておこう。
時々吐き出して整理しないとこんがらがってしまう。
書きたい事を覚えていようとしてしまうから、
意識が妙な緊張状態になる。
(これは自分がたびたび見る、
夢を持ち帰ろうとする夢に似た状態だ。)

さて、何から書こうか。
まずは、時間の進み方が早くなった事。

平日は、朝5時半に起きる。
家のあたりは山のそばなので鳥が多いのだけども、
時にはその鳥たちが騒ぐ前に起きたりする。
朝食を取って6時15分頃に家を出る。
駅まで歩く。まだ景色は青い。
周囲の山には霞がかかり、頂上付近は見えない。
駅のホームにはすでにけっこうな数の人々がいる。
八王子駅で乗り換え。
中央線の到着から一分後に発車する横浜線に乗り換えるため、
連絡通路を全速力で駆けていくのは、
ほとんどがスーツを着たサラリーマン達だ。
なるほど、競争社会は競走社会である、と。
始めの頃は、この殺伐とした空気の中を
心の中でクスクスと笑いながら走っていた。
その笑いを忘れてしまえば、この灰色に
飲み込まれてしまうのではないかという危惧があって、
つまり、自分は客観的な立場からこの風景を見ているのだという、
心理的なポーズを取っていたのだと思う。
いい年をした大人達がスーツを着て毎朝
全力疾走するというのは、
はたから見ればコミカルな風景であり、
当人たちにとっては日常の悲劇だろうかと考える。
これはいつか、ネタにしたいなあと思っている。
とりあえず自分は走るのをやめて、
次の電車に乗る事にした。

町田で乗り換えて伊勢原まで。
乗車時間は全部で約1時間半。
往復3時間のこの時間の使い方が、
今の自分の関心事の一つだ。
始めは、近所の図書館で借りた
考古学関連の本をかたっぱしから読んでいた。
自分は考古学を専攻していたわけではなく、
現場経験も全くなかったので、
周りの人たちに追いつかなくては、と思ったのと、
自分は元来飽きっぽい性格だから、
物事の滑り出しにありがちな
熱烈なモチベーションが持続している間に、
少しでも知識を仕入れておこうと思ったのだ。
しかしある日、本を家に置き忘れてしまった。
さてこの長い時間をどうして過ごしたものかと考え、
脚本のアイデアを練ってみる事にした。
最近、そうした事がひどく苦手になっていて、
アイデアをひらめく瞬発力はあっても、
それを掘り下げる努力ができない。
考えようとしても、脳のどこかが
それを拒否しているような感じで、
すぐに思考が中断してしまう。
しかし、早朝という時間帯が良かったのか、
他に何もできないという制限が良かったのか、
思ったよりもアイデアを転がす事ができた。
その時考えたのは、
巨大なトンボを生産するためには、
巨大なヤゴを飼育する施設が必要だという事。
どのような水流を作り、どのような餌を与えるか、
その施設にはどのような仕事があるか、
(どこまでオートメーション化する事ができるか)
餌はどこでどうやって作られ、どのように運ばれてくるのか、
ヤゴからトンボへと脱皮する際には、
どのような設備や処理が必要となるのか、云々。
こうした思考は、直接脚本に回収されるものであるというよりは、
あくまでバックグラウンドを補強するための
ものかもしれないが、
ある問題点に対して、合理的な回答を探すという形で
思考を進めていくのは、すごく自分の性質に
合っているのだという事がわかった。

話は少し脇道にそれてしまうのだが、
トンボの巨大化について科学的に検討してみると、
生物の進化において、
脊椎動物(恐竜や象やクジラ)がかくも巨大化したのに対し、
外骨格生物(昆虫やエビカニ、サソリなど)の巨大化は
比較的成功しなかったのはなぜか、という疑問が出てくる。
おそらく、身体の中心に骨格をもつ事で、
今までより大きな体重を支えられるようになったのだろうと、
そうした推測はできたのだけども、
それを裏付ける実験について触れた記事がウェブ上にあった。

昆虫の惑星2

該当部分を引用してみると、

『史上最大の昆虫は、およそ3億年前の石炭紀にいたといわれる原ト
ンボ目のメガネウラ・モニーと呼ばれる巨大トンボである。翅を広
げた長さがおよそ60cm、体長は70cmもあった。

このトンボの胴体に類似した円柱を昆虫の外骨格と同じ「クチクラ」
で作って巨大化のシミュレートをした学者がいる。クチクラとは別
名キューティクル(cuticle)ともいい、生物の外表面に分泌される角
質層の総称で、角皮とも呼ばれるものである。

このクチクラで作られた円柱は、直径が50cmを超えたあたりで歪み
始め、やがて潰れたという。自重に勝てないのだ。外骨格は巨大化
には適さないのである。現に、昆虫でこのメガネウラ・モニーを超
える大きさのものは、今のところ出現していない。』

という事だ。
物語の中に、
このメガネウラの遺伝子を改良しながら、
トンボの巨大化に生涯を捧げた科学者を置いてみた場合、
彼はこの問題にどのように対処するであろうか。
おそらく、ヤゴの時点では水中で生活するために、
それほど自重を気にする必要はないだろう。
(古代の海には巨大な外骨格生物がひしめいていた)
だが、ヤゴが水中から上がって脱皮しようとし始めた際に、
地上の重力に晒される事になる。
例えば与える食物を調整する事で、外骨格を強化したり、
羽化直後のトンボの外骨格に直接硬化剤を塗布したり、
軽量で強度の高い物質で作った外骨格とトンボ自身のそれを、
そっくり取り替えたりといった試みをするだろう。

だがもう一つの問題、
昆虫の高い運動能力は、気管系と呼ばれる呼吸システムに
よって成り立っていて、
このシステムそのものが巨大化に適さない、という問題を
どのように扱えばよいのか。

その科学者になったつもりで自分は悩む。
そもそも、そんな巨大トンボが必要なのかどうかも
疑わしいのだが、科学者も自分も、おそらく
それを作りたいから作るだけの事だろう。
フィクションと、フィクションの中の現実という差こそあれ。
そうした欲求が先にあり、
それを必要とする世界を設定していく。
そうやって整合性の辻褄合わせばかりをしていると、
人間同士の葛藤としての物語が、
少しも進展していない事に気づく。

際限なく話が脱線してしまって、
話を再び通勤電車に戻すのが億劫になってしまった。
発掘の事、少しは書こうと思ったのだが、
家を出て電車に乗っただけで終わってしまったなあ。

何が言いたかったんだっけ、
時間の進み方が早くなりました、
それだ。

平日は朝6時過ぎに家を出て、
夜7時半頃に帰宅。
夕食を食べて、風呂に入って、
10時頃就寝。
週末は畑をやったり、撮影に行ったり、編集したり。
ありがたい事に、直前であっても
休みの取れる仕事なので、
急な撮影依頼が入っても対応できるのが助かる。
今までくすぶっていた分を取り戻すかのように、
今は仕事に精を出してます。
そしたら、時間が矢のように過ぎ去っていくんですね。
時間が足りないと感じると、
あれをやりたいとかこれをやりたいとか、
不思議とモチベーションが湧いてくる。
金銭的な貧乏は長い事経験して、
本当に必要なものは色々わかったつもりでいたけれど、
時間貧乏は経験不足だったんだなあ。
高校を出て東京に来た時、
あれだけエネルギーとモチベーションがあったのは、
若さっていうだけじゃなくて、
実質的義務教育の9年間、
(高校は義務教育ではないっていうのは建前だと思う)
興味も無い授業に時間を取られ続けて、
大学にいったら好きな事を勉強していいんだ、
もっと自由なんだ、っていう、
そうした時間貧乏の中で培った飢えが、
自分を動かしていたんだなあって思った。

この忙しさが一生続くのは堪え難いが、
周期的にあれば人生を充実させられるかな、と思う。

とにかく、夢中になりたいんだー。 ]]>
Sun Sugar Son Mon, 18 Oct 2010 13:47:36 +0900
掘るんです http://sunsugarson.com/blog/77 「National Geographic Channelで働きたい!」
と思い立ちました。
きっかけはほとんどありません。
リチャード・ドーキンスの書いた
遺伝子に関する本を読んでいた中に、
National Geographic Magazineに
関する文章が出てきて、
そこから連想しただけです。
なんて面白そうな仕事なんだ、と。

思えば、17歳の頃に
「映画監督になりたい!」
って思い立った時も、
こんな感じでした。
友人の一人が、
「オレは将来映画監督になる」
って言っているのを聞いて、
「おお、それはどう転んでも面白そうだ」
と思ったにすぎません。
特に映画好きだったわけでもなくて。
一生楽しめる仕事がしたかったんです。

不思議なもので、
そんなささやかで不埒な決意が、
この10年間自分を引っ張ってきました。

大学で映画理論を学び、
自主映画制作に没頭し、
卒業後は映像制作を生業として
どうにか生きてきました。

始めの頃は、自分の内側からあふれ出すものを、
なんとかフィクションの世界で形にしようと
していましたが、
いつのまにか世界と自分を隔てている
薄い膜に気づいたというか、
自分は世界をありのままに見る事ができない、
というコンプレックスが、
そしてこの世界にあふれるあまりに多くの神秘が、
自分の興味をドキュメンタリーという手法に
向かわせたのかもしれません。

とはいっても、いまだにフィクションは
作ろうとしているんですけれど。
なんとか、世界の今と切り結ぶ事のできるような
フィクションを、と思っています。

で、冒頭の話に戻るんですけど、
National Gegraphic Channel で働くっていうのは
ものすごく狭き門のようで、
これはある写真家さんのブログに書いてあった
事なんですけど、
National Geographic から仕事をもらうというのは、
マドンナにラブレターを出して
OKの返事をもらうのと同じ位難しい、と。
マドンナっていうのがすごく時代感出てますけど、
難易度としては伝わりますよね。

ちゅうわけで、
なんとか自分の能力を高めていかなくては、
という思いに至ったわけです。

まずは、ドキュメンタリーに強い
いくつかの制作会社に応募してみました。
その中で、自然科学系に強い老舗の会社さんに、
面接して頂ける事になり、
ここで働けるのなら、ナショジオまで行かなくても
いいんじゃないかと、
もう決意が揺らいだんですがw、
(でもそれ位面白い番組作ってる会社です、
TV嫌いの自分が見たくなるほど)
お会いして話を聞いてみると、
いますぐ現場に入るのは無理なようで、
まずは企画や番組単位で、人手が必要な時に
声をかけて下さるとの事。
ありがたいお言葉なんだけども、
盛り上がった気持ちの収集がつかない。

というわけで、
大分はしょりますけど、
遺跡の発掘調査補助員をやる事になりました。

ナショジオも遺跡の撮影とかやってるし、
この経験は後々活かせるのではないか、
という算段と、
あと単純に、
やってみたかったから、です。

実は昔から、遺跡だとか、古代文明だとか、
そういったジャンルが大好きで、
地元の遺跡に連れて行ってもらったり、
中学生時代にマヤ文明に関する本を
図書館で借りて、夢中で読んでマヤにかぶれたり、
うちの父もわりとそういうのが好きなんですが、
グラハム・ハンコックの『神々の指紋』を
父親が買ってきた時は、
かなりテンション上がったりしてました。
(先日帰省したら、
実家の俺の部屋に『オーパーツの謎に迫る!』
みたいなムー系の本が置かれてて
ちょっとおもしろかった)

発掘場所は神奈川県伊勢原市の
西富岡遺跡、
縄文時代の遺跡だそうです。
伊勢原はどこを掘っても遺跡、
という位に遺跡だらけの場所だそうで、
現在の発掘現場も、
縄文時代から平安中期ごろまでの
遺跡が混在する場所だそうで。

作業としては発掘というよりも
測量がメインになるみたいなんですけど、
面接を行った事務所で修復作業中の
大型土器を見て度肝抜かれました。
ものすごく綺麗なんですよ!
縄文土器ってもっと素朴な風合いの
ものかと思ってたんですが、
すごく均整がとれていて、
セクシーというか、
ざっくり作ってあるようでいて、
すごく繊細という印象を受けました。

ちなみに、現在の技術でも
ああいう土器を作るのは至難の業だそうです。
国宝級の陶芸家が挑戦しても、
似たような風合いはなかなか出ないとの事。

雨の日には屋内作業で、
発掘品の清掃や整理なんかもやれるみたいだし、
目的のわからない謎の遺構なんかもあるみたいで、
心躍るー。

こうした現場に映像で関われたら、
面白いだろうなあ。
アピールしてみよう。

というわけで、しばらく
発掘現場に通う事になりそうです。
シフトの自由はかなり利くようなので、
映像案件にもこれまで通り対応していきます。

ではでは。
新規ステージにいってきまーす。 ]]>
Sun Sugar Son Thu, 02 Sep 2010 14:40:26 +0900
イタチノヘ 10 http://sunsugarson.com/blog/76 開いたのは、ちょうど今から一ヶ月ほど前の事だ。
それを最初に発見したのは、
ハウスキーパーとしてこの家で働いている、
ニムサという名の若い女性だった。
ハウスキーパーといっても、
掃除や洗濯といった基本的な家事は大抵、
それらの目的に特化した虫たちが働いてくれるので、
ニムサの役目といえば気まぐれで多動的な幼い兄妹の
面倒を見ることと、彼らがいたずらにひっくり返してしまう
清掃用の虫を元の姿勢に戻してやる事くらいだ。
清掃用の虫というものは、床面のごみやほこりを集める
その性質上扁平な形をとらざるを得ないようで、
一度そうした無邪気な子供らの手で
仰向けにされてしまうと、その六本の足を空しくバタつかせ、
床の上に転がった玩具や家具に背中をのせて運よく
元の姿勢に戻れるまで、ひたすらもがいているのだ。
遺伝子操作は人間のあらゆる欲求に答えられるわけではなく、
自然の中にある多様な形態の中から、
そうした欲求を満たすに最適な形を選び発展させる、
といった所が限界であるらしい。

ともあれ、その日ニムサは、
落ち着きのないその兄妹をなんとか共に
寝かしつける事に成功し、
ようやく自分のための時間がもてたといった所で、
バッグから取り出した電子書籍を読み始めていた。
内容は近頃ベストセラーとなっている
中堅作家の恋愛小説である。
それほど夢中になるでもなく、
かといって退屈するでもなく、
淡々と10分ほど読み進めた頃であったか、
ニムサはふと、異臭のするのに気が付いた。
腐りかけのピンクのような、
生臭い匂いだった。
またか、とニムサは思った。
あの子たちが、食べ物をひっくり返して遊ぶのは
これが初めてではなかったからだ。
そうした事に対する躾はとても難しかった。
子供を叱るという事に対して、
この家の母親はいつも過敏に反応したし、
ニムサ自身、人に対して怒りを表明する事に
大きな抵抗があった。
彼女は、たとえ相手が子供であっても、
関係に不和をもたらすような感情を表に出すことを、
いつもひどく躊躇した。
だが、今回はそうした葛藤に直面する事はなかった。
というのも、兄妹は相変わらず、
幼児用マットの上で寝息を立てていたからだ。
ニムサは匂いの元を探した。
自分の座っていたソファの周辺が一番匂う事に気づき、
恐る恐るその下を覗いた時、
ニムサは戦慄した。
暗がりの中からこちらを見つめる、
二つの瞳と眼があったのだ。
その眼光は、あきらかに何か不吉なものを感じさせ、
同時に、ニムサはひどい嫌悪感を覚えた。
「ギョッ!」という短い叫び声を発して、
そいつはソファの下から飛び出し、
戸棚の裏に入り込んだ。
その動きが素早かったので、
はっきりと姿を見たわけではなかったが、
それはウサギほどの大きさをした、
くすんだ緑色の生き物だった。
ニムサは思わず、武器になりそうなものを部屋の中に求めた。
なかなか手頃な物が見つからなかったが、
最終的に彼女が選んだのは、写真好きのこの家の主人が使う、
小型の三脚だった。
多少重かったが、それは即ち、あの程度の生き物に対しては
この道具が十分な殺傷能力を持つことを意味していた。
ニムサは三脚を片手にもったまま、
例の戸棚に近づき、
おそるおそる足で蹴ってみた。
動く気配は無い。
腰がひけたまま、ニムサは空いている片方の手で
戸棚をガタガタと揺さぶってみた。
今度は音もなくやつが飛び出してきた。
ニムサはすかさず三脚を振り下ろした。
紫色の血があたりに飛び散った。
背中を砕かれもがくその生き物の顔を見て、
ニムサはさらに嫌悪感を募らせた。
口からはとがった薄黄色の牙が覗き、
頭は皺だらけで体毛は無く、つぶれた鼻とまぶたの無い目、
そして、底なしの穴を思わせる暗い瞳。
それは、お伽話に出てくる子鬼に瓜二つの姿だった。
ニムサはためらう事無く再び三脚を振り下ろし、
その息の音が絶えた事を確認すると、
安堵と恍惚の吐息をもらした。

ソファを動かしてみて判ったのは、
いつのまにか床に直径10cm強の穴が開いていたと言う事だった。
やがて帰宅したこの家の主人とその妻は、
突然の事に当惑しながらも、とりあえずはどこまで
続いているのか判らないその穴を埋める事にした。
穴を埋めるのには強化樹脂セメントが使われた。

だがその一週間後、今度は一家が夕食後の団欒をしている
その時に、再び子鬼があらわれた。
夫人は金切り声を上げ、子供は恐怖から母親の体にすがりついた。
夫は猛然と子鬼に飛び掛り、
樹脂の蓋を破ってまだ辺りを見回していた子鬼の頭を素手でつかむと、
それを床に叩きつけ、足で踏み潰した。
夫人も子供たちも、そのように野性的で残酷な夫の姿を見るのは初めてだった。

やがて様々な事が判ってきた。
子鬼は必ず、決まった周期で穴から現れる事。
その穴に、どのような蓋をしても、
必ずそれは破られる事。
子鬼を殺すことは、
それほど難しくは無いという事。

そのうち、リビングルームには子鬼が現れる時刻を
あらかじめ予測したタイマーが置かれ、
アラームがなると同時にノジマ家の住人は
夫人から幼い子供に至るまで、
すかさず手近な武器を取って
子鬼狩りをするようになった。

その殺し方については、
残酷さがどんどんとエスカレートしていき、
生きたまま生皮を剥いだり、
腕や足を捻じ切ったり、
熱した油を浴びせたりと、
思いつく限りの方法を誰もがためし、
そしてそうする事に罪悪感を感じる事もなく、
むしろ恍惚として喜びを感じるのであった。

こうした残酷さ、攻撃性といった、
社会生活を営む人間が普段眠らせている
ある種の感情的な活動を、
極限まで引き出すというのが彼らの能力であり、
そうやって個々の命を犠牲にしながら、
この社会を精神的に侵略していくという、
冥界の計画に人々が気づいたのは、
それからずっと先のことである。 ]]>
Sun Sugar Son Wed, 18 Aug 2010 12:18:10 +0900
下山 http://sunsugarson.com/blog/75 昨日は使い物にならないほど眠った。
なんだか限界値の底上げをするような現場だったけれども、
そのぶん多くのものを得られたような気がする。
それぞれ自分の好きな事を何十年と積み重ねてきた職人達が、
お祭りという特別な場で自由に遊んでいるような、そんな感じ。
自分の倍以上も歳を重ねているのに、
絶えずカメラを手放さず、
全てのバンドを最前線で撮影して、
全くといっていいほど休憩を取らず、
朝の9時から深夜2時まで撮影し続けて、
それでも楽しそうな情児さんの背中を見ていたら、
こりゃあ無敵だなあと思った。
そのうえ笑顔でずんずん人の懐に入って
おいしい画を撮りまくるのだ。
自分は今回久しぶりに、
生来の引っ込み思案な性質を意識する現場となった。
切り込んで行けばおいしい映像が撮れると
わかっていながら、
なぜか二の足を踏んでしまうのだ。
もどかしかった。
そんなハードルは、
とっくに乗り越えたと思っていたのに。
祭りも終わり間近になって、
ようやく少しだけ開けたかな、という感じ。
60前後のdeadheadsを前に気後れしたのだろうか。
同じ人間なのにね。
相手があんまり堂々としていると、
こっちが小さく弱くなったような
気がするんだなあ、たぶん。
それでは立ち会いに負けるって、
空手で教わったんだけども。
技術的にはレベルアップできたと思うけど、
精神的にはいくつかの課題を突きつけられた形となった。

次のひかり祭りでは、
もっとやれるだろうか。

今日あった少しいいこと。
相模湖に散歩しにいったら、
旅館のおじさんに呼び止められて、
「いつも竹とか拾っていってるでしょ?
あれに何に使うの?芸術的な事?」
「はあ、まあ、そうです、芸術的なw」
「これ持って行かないかい?
こないだ拾って、何か作ろうかと思ったんだけど、
俺センスねえからさあ」
といって、すばらしくねじ曲がった流木(根の部分だろうか)
を取り出してきたのだ。
こんな風に流木を取っておいてくれたおじさんは
実は他にもいたのだが、
一度も話した事のないそのおじさんが
自分が通りかかるのを待っていてくれた事が、
なんだかとても嬉しかった。
と同時に、
いつも流木を拾いに行ってる姿を
見られていたんだなーと、
「狭い町内」って言葉を実感した。
流木でちろちろと、
小物や家具を作ったりしてみています、最近。
触れられる物を作るのも、
映像や音楽とはまた違った
面白みがありますな。 ]]>
Sun Sugar Son Tue, 27 Jul 2010 23:55:13 +0900
Japan-The Strange Country http://sunsugarson.com/blog/74 http://vimeo.com/9873910

先日、東京に遠征した時に
友人に見せてもらったビデオ。
グラフィックの秀逸さが際立っている。
日本人の中にはこれを見て
不愉快に思う人もいると思うし、
実際そうした人たちの書き込みによって
この掲示板は賛否両論吹き荒れている
わけなんですけども。
たしかに、恣意的なデータの見せ方は
多々あると思うし、
個々人ではどうにもならないほどに
システムが巨大化している中で、
「自分たちにどうしろと!?」
っていう風に憤る人たちがいるのも理解できる。
食料の問題とか特に。
自分の場合で言えば、
外食産業で廃棄される食料の多さに
うんざりした経験から、
外食する事自体に抵抗感を感じたりしていて、
かといってスーパーで買い物して自炊したとしても、
あそこで廃棄されている食品の量だって
すさまじいわけで、
じゃあどうしたらいいんだと。
最近畑の野菜が取れはじめたのが救いではあるけれども、
都会に住んでたらどうしようもないもんね。
家庭で残飯を出さないようにしても、
流通の段階で恐ろしい量が廃棄されているという事実。

ただ、
この作者がこれを大学の卒業制作で作った
という事はまずとてつもない
偉業だと思う。
そして彼が自分の祖国を
このようにネガティブに、
皮肉まじりに捉えているという事実、
その原因をまずは直視しなくてはいけないと思う。
自分だってこの国の好きな部分はあるけれど、
正直うんざりする事も多いよ。

もちろん、
世界の不幸の原因全てが日本にあるわけではない。
ただその一方で、
大量消費社会に慣れすぎてしまった日本人が、
そのシステムの歪みに対し無自覚で居続ける事に、
罪がないと胸を張って言い切れるだろうか。

中国の原生林を皆伐して作る割り箸の問題について、
それは中国人の問題で日本人の責任ではない、
っていうような理屈を立てている人がいたけれど、
経済がグローバル化して、目に見えない所から
モノが運ばれてくるような時代であるからこそ、
消費者の側が想像力を働かせて、
消費行動に自覚的になるべきなんだと思う。

とは言っても、
貧乏人が倫理的な理由から
フェアトレード商品を選ぶっていうのも
かなり限界があるんだけどね。。。(これは自分の話だが)

少なくとも、
罪悪感をかき消すための
思考停止は絶対にしたくないなと思う。

これはちょっと蛇足だが、
東京で電車に乗ったら、
「寿司職人を家によんで
寿司をにぎってもらったら
予算はいくらくらい?」
ってなCMが流れていて、
答えが2、30万だった気がするんだけど、
そのあとに「その夢に向けて準備しよう」
みたいなテロップが流れて、
宝くじのCMだとわかった瞬間、
これってなんかやばくないかな、
と思った。
例えばローマ帝国の貴族たちが
世界中の美食を集めて食べては、
鳥の羽でのどの奥をつついて、
食べたばかりのものを吐き出し、
また新たな美食に舌鼓を打っていた、というような、
ぱっと見こいつら馬鹿なんじゃないか、
と思えるほどの乱痴気騒ぎ、
あれに近い匂いを嗅いだ気がした。
デカダンだとか文化の爛熟だとか、
なにかしら負のイメージをまとうきらびやかさ、
帝国の滅亡の前夜の雰囲気。
っていうと大げさだけれども、
少なくとも自分達が子供の頃に教わった
道徳の倫理観からは遥かにかけ離れた所で、
不健康な消費が加速していって、
気がついたら自分たちも飲み込まれている、というような。
なんだか、なんだかな。

アメリカの方が飯捨ててるよとか、
東欧の方が自殺率高いよとか、
そういう批判をしてしまう心理って、
あっちのほうが酷いからここはまだマシって、
そうやって目を背けていたら
何も解決しないよなあ。

さて、
自分に何ができるだろうか。

とりあえず今日は仕事をこなして、
ゴーヤのグリーンカーテン作ったぞっと。
]]>
Sun Sugar Son Sun, 04 Jul 2010 22:18:26 +0900
モノの物語 http://sunsugarson.com/blog/73 やっぱり載せない事にした。
特定の誰かを責めるつもりはないのだけれど、
それでも不快な思いをする人がいそうだから。
最小限の体験を引き合いに出しながら
語ってみる。
まずはこの映像を見てください。

「モノの物語(the story of stuff)part1」



この映像自体は先日、地元で地域通貨の流通促進を
目指して活動している(ちょっとニュアンスが伝わり
づらいかもしれないけど、これはまた後述します)
「トランジション藤野」で紹介してもらったもので、
自分としては長年の謎が少しばかり解けたなあという感じでした。

もちろんあらゆる情報や価値観は、
自分の頭で検討してから飲み込むべきもので、
この中で言ってる事を鵜呑みに
すべきではないのだけれど、
一つ5ドルのラジオを買おうと思って
ふと気づいたっていうくだり、

あれが目からウロコでした。

自分はこの商品の対価を払っていない。
じゃあ誰が払ったの?
途上国の人々が、天然資源や、きれいな空気で、
あるいは非保険雇用での労働etc...で、
対価を払った。

なるほど!と。

百円均一に大量に並ぶ
MADE IN CHINAの商品を見る時に、
脳裏にふとよぎる罪悪感、
(そういう時は大抵、
戦時中の富岡製紙工場のように過酷な
環境で働かされる中国の女工たちの
ドキュメンタリー映画
「女工哀歌」の予告編が思い出される。
本編はまだ見ていないのだ。)

その罪悪感だけはもやもやとしているのだが、
システムがいまいち理解できずにいた所のもの、
つまり国際的に経済強者であるという事は
いかなる事であるのか、という問いについての、
一つの回答が提示された気がしたから。

中国で環境破壊が加速している事に対して、
そうした短期的な視野に立っての
なりふりかまわぬ発展という時代を
すでに通り過ぎた国の民としての、
変な優越感でもって、
あの国はまだ環境意識が低いから、
なんていう思考が自分の中にもあった事を
とても恥ずかしい事だと思った。

そうやって環境を破壊しながら
生産しているものを、
安いからというそれだけの理由で
購入してしまう自分は明らかに
その環境破壊に加担しているわけで。

そうやって作られた物に
囲まれて暮らしているのが
今の自分たちの生活なんだなと。
原材料などのレベルまで遡ってみれば、
世界中の環境破壊に依存しているんだな、と。

日本では一人当たり、
平均して一年に10kgの服を買い、
9kgを捨てている計算になるらしい。
その多くは、市場に流通する事無く、
ブランドとしての価値を維持するために
焼却処分されている高級ブランドの服だろうと
思うのだけれども、
それにしたって
様々な理由で自分が捨てる服を、
うっかり途上国の人たちに見られて、
胸を張っていられる人って
中々いないんじゃないだろうかと思う。

それもまた、システムのからくりの中で
転がされているのかな、とも思うけれど。

『不都合な真実』がはやっていた頃、
アル・ゴアが日本のTVに出演して、
省エネ対策の施された最新家電を買うことは
地球温暖化対策に繋がるって言いながら、
変な笑顔を浮かべているのをみて、
ああ、この人も結局、
企業の利益を代弁する政治家なんだな、と
少し失望したんだけれど、
その失望は的外れな物ではなかったんだなと
この映像を見て再認識した。

今は「エコ」という新たな流行を、
いかにして消費に結び付けていくかという所で、
いろんな企業が悪戦苦闘しているのだろうな、
と思う。
自分たちの生活スタイルを見直して、
身の丈に合った暮らし方、という物を
実践していかない限り、
こんな馬鹿騒ぎは続きはしないと思う。

ってやっぱりぐだぐだと
クダをまいてしまった。
こういう事を話していると
きっと身近な友達から反発をくらったりして、
そんな事で口論したりするのも嫌だから
そうした思いを全部託して
映画にしちまおうと思っていたのだけど、
なんだかストーリーが転がらなくなっちまったから
こんな形で噴出したのかなあ。

ばらばらのアイデアはたんまりあるのだけど、
それらを結んでいくストーリーが
中々上手に語れない。
うーん便秘だ。

それでも、また転がしたい気持ちが
高まってきているから、
そろそろ動けるんじゃないかとは思っているんだが。 ]]>
Sun Sugar Son Wed, 30 Jun 2010 00:11:49 +0900
奥から三番目の遺伝子 http://sunsugarson.com/blog/72 まあ、焦っても文章はカラカラになるばかりで、
こんなもんでもいいのかもしれない。

今日は左下の親知らずを抜いて来た。
5、6年前に右下の親知らずを抜いた時は、
丸一日くらい痛みが酷くって、
今回も手術に一時間ほどはかかるだろうなんて
言われていたから、
これはしばらくまともに食えないだろうな、と
食べ納めのつもりで肉を食ったりしてたのだが、
あんがい手術はさらりと終わって、
術後も薬を飲んでいるとはいえ
ほとんど痛みを感じていない。
これは医師の腕が良かったのか、
自分の体調が良くなっているからなのか。
でも前に抜いた時は、
明らかに研修終えたての新米先生だったし、
今回の先生はこっちを笑わせながら手術する
余裕っぷりだったから、やっぱりそのへんの
技術の差はあるのだろうなあ。
という事で、やたらでかい歯医者に行くと
研修終えたての新米先生にあたる事があるので注意、
という教訓を、再認識した次第でした。

で、自分の歯には少し不思議があって、
奥歯から数えて三本目(親知らずを入れれば四本目)
の歯が、素直でないのである。
右下の歯はべっこり内側に倒れ噛み合わせに全く貢献しないし、
左上なんか完全に歯列の内側に生えていて、
これも噛み合わせに貢献しないばかりか
不潔域を作るというので二十歳の頃に抜いた。
右上はわりと素直な生え方ではあるが、
周りの歯の半分から1/4位の大きさしかない。
唯一左下だけはまともに生えている。
その他の歯はこれといってスネたりグレたりする事なく、
わりときれいに生えているので、
やはりこの奥から三番目という所に、
遺伝の匂いを強く感じるわけである。
思えば母親も、似たような歯並びだったような気がする。
(これはかなり不確かな記憶だけれども)
という事は、母方の先祖を代々さかのぼっていくと、
奥から三番目の歯がスネたりグレたりしてた人たちが
ずーっとある時期まで連なっているのではないかと、
そんな事を考えたのだ。
という事は、
母方から自分に受け継がれたDNAの塩基配列のどこかに、
「奥から三番目はイマイチ」みたいな書き込みがあって、
(歯列と塩基配列がごっちゃになってる気もするが)
それが出る人出ない人はあるだろうけれど、
脈々と受け継がれて来た個性みたいなものなのかな、と。
まあ調べようもないのだけど、
例えば母方の先祖を5代前にさかのぼって、
そしたらペリー来航とかそんな時代なんだけども、
そのご先祖の口の中の、
奥から三番目の歯が倒れてたりしたら、
そりゃもうぐっと親近感を感じるだろうなあと、
そう思った。
もちろん顔の作りやなんかに、自分や母の面影を
認めたら、そっちの方が親近感はわくのかもしれないが。

これは少し話がそれるかもしれないが、
今、自分が畑で育てている植物のほとんどは、
f1と呼ばれる種から育ったもので、
これは例えば収量の多い種と病気に強い種を
掛け合わせてできた第一世代の種という意味で、
親のいいとこどりになってるそうです。
で、このf1さんから自家採取した種がf2になるんだけども、
これを育ててもf1と同じようにいい事づくめには
ならないそうで、
理科の時間にやった「メンデルの法則」ってやつで、
25%は劣性の形質を持った子供ができるらしい。
病気に弱かったり収量が少なかったり。
というわけで今、ほとんどの農家は
f1の種を毎年購入して使っているらしいんだけども、
市場競争ってやつの負の一面だなあこれは。
ほんとはもっと持続性の高い産業なのにね、農業。
農機具に関してもそうで、
そういった部分に投資しないと、
売れる野菜が作れないと。
で、農薬撒かざるを得ないと。
でも自分らの食べるぶんには撒かないと。

あっ、愚痴っぽくなってきた。

制度を批判する事に対しては、
非常に複雑な思いがある。
The BeatlesがRevolutionで歌ってたように、
「それより君の頭を変えたらどうだい」
「心を自由にしてやったほうがいいんじゃないかい」
っていう立場にすごく賛成なんだけれども、
といって何もかもを見過ごすのもまた気持ち悪いなあと。

うん、続きを書いていたら
やたらと長くなりそうになったので、
また明日書きます。
頭冷やそう。 ]]>
Sun Sugar Son Tue, 29 Jun 2010 01:18:18 +0900
月夜 http://sunsugarson.com/blog/71 せっかく始めたので今日も続けてみる。
しかし日記にタイトルをつけるのは
なかなか難しいな。
これを書こうという主題が
特にあるわけでもないから。

今日はたくさんタネをまいた。
ハーブ中心に、7種類ほど。
麻袋にミニゴボウとニンジンを植えた。
通気性がいいから根菜が良く育つらしい、
という噂を頼りに。
あと、見慣れない真っ赤なカミキリムシを見た。
ちょっと怪我をしているのか、
縁側のあたりをひょこひょこ歩いていた。
ハアリが蟻の巣からたくさん
出てきているのも見た。
アレは新しい子孫を残すための
雄と雌が羽を持って生まれてくるらしい。
そして結婚飛行をするんだと。
蜂にも似たような習性があるが、
わざわざ交尾を空中でする事に、
ロマンチックである事のほかに
どういう利点があるのだろう。
蟻の視点に立ってみれば
すごく感動的な瞬間ではあるだろうけど。
きっと映画的なんだろうな。

仕事上の消耗品をネット経由で注文する。
約2万円ほど。
東京にいた頃は秋葉原まで自転車を
漕いだりしていたけれど、
これはずいぶん楽だな、と思う。
それでいて安い物を探せるし。

会話の流れで昔の事を思い出す。
小学校に入学する前後の頃だったか、
父に連れられてよくゲームセンターへ行った。
そこで祖父が管理人の仕事をしていたのだ。
そのころはドラゴンスピリットという
シューティングゲームがお気に入りだった。
笑顔の祖父が思い出される。
その頃はわからなかったけれど、
勤務先に孫が訪ねてくるというのは、
顔をほころばせる出来事なんだろうな。
わりと気むずかしい祖父だったけど、
あの場所との連想で思い出した時、
どうしてもその顔は笑顔になる。

記憶の海、っていう言葉があるけれど、
その不思議さと広がり、深さという点で
すごくいい例えだと思う。

月が明るかったので少しだけ夜の散歩をした。
季節の変わり目の夜にありがちな
なんだかドキドキする匂いはもうしなくって、
もう夏に入ってしまったのか、
それとも夏はまだ先なのか、
俺の感受性が年を取ってしまったのか、
理由はわからないけれど何だか
損をしたような、少し寂しいような気がした。
でも月はすごく綺麗だった。 ]]>
Sun Sugar Son Sat, 26 Jun 2010 01:38:15 +0900
まあ気楽に http://sunsugarson.com/blog/69 三日坊主だからあまり期待はしないけれども。
ささいな出来事を、記録してみようと思った。
最近、文章から遠ざかってしまっていて、
その事に変な焦りを感じていたから。
何気ない事を書いているうちに、
自然と筆が伸びるのじゃないかと思って。
自分の意識が気づいていない事にも、
何かのきっかけで届くかも、と。

今日は、秘密の場所で採って来た桑の実を
煮詰めてソースを作った。
中央道の裏手、墓地を抜けていく
高速整備用の細い道。
たぶん誰も知らない。
このあたりは、昔養蚕が盛んだったらしく、
町のあちこちに野生化した桑が残っている。
手の届く限りの実を集めたけれども、
両手にやまもり一杯ぐらいがせいぜいだったろうか。
木に登ればもっととれるかもしれないが、
斜面の下は高速だから少し怖いのだ。

庭の畑でとれたものが少しずつ食卓に並ぶようになってきた。
今の所、キュウリ、バジル、ルッコラ、ほうれん草など。
トマトも実がついているし、カボチャも大きなつぼみをつけた。
畑でない所には一面にハルジオンだかヒメジオンが
花を咲き散らせている。

今、隣室の時計が十二時の鐘を打った。

そういえばさっき、
外から聞き慣れない声がしていたけど、
あれは何だったろう。
フクロウがせわしなく鳴いているような、
ほっほっほっほ、という声。

虫の声がなんだか空気を涼しくしているようだ。

眠くなって来た。
おやすみなさい。 ]]>
Sun Sugar Son Fri, 25 Jun 2010 00:02:07 +0900